Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

わたしたちが孤児だったころ

今日の本はカズオ・イシグロさんの「わたしたちが孤児だったころ」。

タイトルはストーリーに密接に関係している。要するに、物語の最後に出てくる、

消えてしまった両親の影を何年も追いかけている孤児
(p.530)

これが主人公のクリストファー・バンクスだ。クリストファーの両親は、クリストファーが子供の時にどこかに連れ去られてしまう。まず父親が失踪する。そして母親は誘拐される。そしてクリストファーは孤児となる。大人になって探偵となったクリストファーは両親を探すが、なかなか見つからない。

舞台はロンドンと上海。PART 1 は 1930/7/4、PART 7 は 1958/11/4 という日付が書いてあるが、大部分は1937の日中戦争が勃発するまでの描写だ。特に後半の戦地のシーンは生々しい。

全体の背景として出てくるアイテムはアヘンだ。アヘン戦争に関しては、日本では世界史で習っているはずだが、

今ではアヘンは蒋介石軍を養うために売られているんだ。蒋介石という権力を維持するためにね。
(p.496)

これが史実なのか小説としての演出なのか分からないが。麻薬取引の元締めを辿って行ったら最後は国だった、というのはコミックでもよくあるような話だ。何だかんだ言ってヒエラルキーの最上位は国家権力なのだ。

イギリス人の検査官がクリストファーの母親に対して、山東省の使用人はアヘンをやっていて信用できないから雇わない方がいいと忠告したときに、中国人にアヘンを売ったのはイギリス人ではないのかと食ってかかるシーンがある。しかしどうも欧米人のパターンは今でもそう変わっていないような気がする。今というのはもちろん令和の今の話だ。

クリストファーの友達として出てくる日本人のアキラは、なかなか微妙な立ち位置で絡んで来るので面白い。イギリス人のクリストファーが日中戦争の真っ只中で人探しをするというシナリオはどう見ても尋常ではないのだが、作中でのイギリス人、中国人、日本人というキャラの書き分けが、現実の当時の人達とどの程度マッチしているのかよく分からない。特に中国人はかなり厳しく描かれているような気がするのだ。

最後に、この小説から一言。

人はノスタルジックになるとき、思い出すんだ。子供だったころに住んでいた今よりもいい世界を。
(p.444)

過去の思い出は浄化・美化されて夢のようになっていく。


わたしたちが孤児だったころ
カズオ イシグロ 著
Kazuo Ishiguro 原著
入江 真佐子 翻訳
ハヤカワepi文庫
ISBN: 978-4151200342