Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎

今日の本は「ポパーウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎」です。何だこの長いタイトルは。

このエピソードを知らない方も多いと思うのでざっくり紹介すると、1946年10月26日、ケンブリッジ大学のモラル・サイエンス・クラブにポパー博士が招かれ講演を行いました。この時の様子が。

ピーター・ギーチの記憶によれば、ウィトゲンシュタインは火かき棒を手にとり、それを哲学上の例についてふれるなかで使っていた。使いながら、ポパーに「この火かき棒について考えてみたまえ」といった。
(p.26)

講演中に火かき棒を持ち出すというのは尋常ではありません。そしてヴィトゲンシュタインは討論の途中で出て行ってしまったのです。ポパーの主張に次々と反論している中、何で最後まで反論しないで出て行ってしまったのか。

語りえぬものについては、沈黙せねばならない。
(論理哲学論考ウィトゲンシュタイン著、野矢茂樹訳、岩波文庫、p.149)

…まさか、そういうわけでもないようですが…。

この本は、タイトルになった大激論の内容に関して詳説したものではありません。むしろ、ポパーヴィトゲンシュタインの生い立ちや育った環境、そして時代背景としての第二次世界大戦ナチスの台頭下でのユダヤ人哲学者としての立ち位置、そのような背景情報を紹介した本として受け止めるべき内容です。よもやま話的なもので、哲学は本格的に知らないという人でも読み易いと思います。

途中に出てくる「その他の人」も豪華キャストです。

アルベルト・アインシュタイン、ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタインバートランド・ラッセル
(p.197)

もちろんチューリングの名前も出てきます。もっとも、チューリングとの論争に関しては、内容は殆ど触れられていません。

ウィトゲンシュタインとはどんな人だったかというと、

ウィトゲンシュタインのほうにだけ、なんというか、魔力のようなものがある
(p.34)

カリスマ性が半端ないのです。学生たちは服装やしぐさまで真似したという話も出てきます。言葉としては、先に紹介した「語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」が有名ですが、

ウィトゲンシュタインは、わたしたちが語りえない命題こそがほんとうに重要なのだと考えていた。
(p.207)

禅的な問題ですね。世の中には言葉では表現できないものがあります。沈黙せねばらならない側が重要だというのは大きなポイントです。これはウィトゲンシュタインが「論理哲学論考」について書いた手紙に、次のように書かれていたことから分かるそうです。

わたしの著作は二つの部分で構成されています。この本に書かれている部分と、書かれていない部分です。そして重要なのは、まちがいなく、書かれていないほうなのです
(p.207)

これに対するポパーに関しては、例えばポパーが本を書く場面。

原稿はつぎからつぎへと書きなおされ、ヘニーがこれをタイプする。一ページが一〇ページになり、一〇〇ページになり、ついには八〇〇ページになる。二人はほとんど死にかけた。
(p.240)

ヘニーはポパーの奥さんです。

一つのことに集中すると異常にのめりこむ性格なんですね。全集中です。特に哲学議論になると人が変わったように攻撃的になるようです。ジョン・ワトキンス教授が紹介している逸話に、次のようなものがあります。

「あるセミナーで発表者が〈…とはなにか〉というタイトルを読み上げた。とたんにポパーがわりこんだ。そして〈なにか〉という問いはまったくの誤謬で、誤解をまねくといいだしたのである。発表者のほうはタイトルを発表するだけで時間をつぶしてしまい、それ以上議論がすすまなかった」
(p.250)

モンスター哲学者ですね。

魔術師とモンスターの戦いですから、無事に済むわけがありません。


ポパーウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎
デヴィッド エドモンズ 著
ジョン エーディナウ 著
David Edmonds 原著
John Eidinow 原著
二木 麻里 翻訳
筑摩書房
ISBN: 978-4480847157