Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

百億の昼と千億の夜

今日は何故か読み直してしまったので、「百億の昼と千億の夜」です。名作です。何で昼と夜の数が違うのでしょう。

ちなみに百億日は約 27,378,508 年、3千万年弱ってところで、千億日だと3憶年弱ということになります。ストーリーは今更なので紹介しませんが、イエスブッダが出てくる漫画は「聖☆おにいさん」よりずっと前からあったのです。もっとも、この作品は、阿修羅王と悉達多太子とオリオナエ(プラトン)がワンチームで、イエスは敵側という構図です。

アイテムとしては、オリハルコンがポイントです。

オリハルコンは閉鎖された熱エントロピーの世界を持っている
そいつは すごいエネルギーなのだ
(p.424)

わけがわかりませんが、すごいです。

阿修羅像は国宝ですが、このマンガの阿修羅王の顔は阿修羅像によく似ています。当たり前ですか。

プラトンが叫ぶシーン。

神が実在であると説くよりなぜ惑星開発委員会が実在すると説かなかったのだ!!
(p.47)

この委員会が黒幕なのですが、対抗組織が最後まで謎のまま終わるというのが深いです。続編が書けそうな終わり方ですね。

 

 

百億の昼と千億の夜
光瀬 龍 著
萩尾 望都 著
秋田文庫
ISBN: 978-4253170024

妖怪談義

今日は柳田国男さんの「妖怪談義」。約30の短編が入った、妖怪紹介本です。ジャンルとしては民俗学ですね。

妖怪が民族学の対象なのかというのはよくわかりませんが、妖怪が各土地に密接に関わっていることは確かで、さらに文化にも影響を与えています。「かはたれ時」では、「君の名は。」に出てきた黄昏の話が出てきます。

例えばタソガレは「誰そ彼は」であり、カハタレは「彼は誰」であった。
(p.36)

他に「タチアイ」(立ち会うということか?)、「マジミ」(真面に見る?)、「メソメソドキ」「ケソメキ」のような言葉が紹介されています。名古屋の「ウソウソ」というのも面白い表現ですね。

「小豆洗い」のところでは、

なにゆえに音もいろいろあろうのに、小豆を洗う音ばかり聴き取るのが例であったかという疑
(p.104)

確かに、大豆洗いでも米研ぎでもよさそうな気がしますね。

「ひだる神のこと」では、「大和の宇陀郡室生寺の参詣路、仏隆寺阪の北表登り路中程」が、

今でも食物を持たずに腹をへらして通ると、ヒダル神が取り憑いて一足も動けなくなる難所
(p.115)

だと紹介されています。ダルは3月3日に紹介した「桜大の不思議の森」にも出てきましたね。


妖怪談義
柳田 國男 著
講談社学術文庫
ISBN: 978-4061581357

マンガ 老荘の思想

今日は風邪で寝ていたので本は読んでないのですが、数日前に読んでいたマンガ「老荘の思想」を紹介します。

老荘というのは老子荘子。雰囲気としては禅に似ています。「車大工」は古人の糟粕です。欄外注に、

真の認識は言葉では表現できない。したがって、書物に伝えられた言葉は古人の体得した真理そのものではなく、いわば糟粕(しぼりかす)、つまりクソみたいなものにすぎない
(p.77)

禅では不立文字といいますね。

老子からは、「無のはたらき」を紹介します。つまり無用之用です。車輪は、

中心が空虚だからこそ車輪のはたらきをするんじゃ
(p.187)

てな話です。カムイ外伝で音弥が「見れば見るほど見えなくなるもの」という謎を出すシーンを想い出しました。車軸がない車輪があったら面白いですけどね。個人的には無というのは「無」が有るというような解釈の方が好みです。ちなみに、無用の用という言葉で思い浮かぶのは、何か違いますが、Dyson の扇風機とか。

 

マンガ 老荘の思想
蔡 志忠 著
和田 武司 翻訳
野末 陳平 監修
講談社+α文庫
ISBN: 978-4062560580

黄金虫・アッシャー家の崩壊 他九篇 (2)

今日は朝からドタバタしていて、本を読む暇もなかったですけど、先日図書館から借りてきたポオの文庫本に入っている作品を2つ紹介してみようと思います。

ちなみに、この本には「黄金虫」と「アッシャー家の崩壊」という超メジャーな作品も入っていますが、これは有名すぎるので紹介する必要がないでしょう。どうでもいい話っぽいですが、ポーじゃなくてポオなんですね。私の記憶ではポーなんですが。

1つ目は「群衆の人」。

語り手はとある喫茶店から外の群衆を眺めています。そういえば、昔、私、渋谷のカフェで窓際の席に座って、外を歩く女子校生とか watching していたことがありましたが。この作品では、とある人物が現われます。

私は窓ガラスに額を押しあて、群衆の観察にいそしんでいるうちに、ふとひとつの顔が(年の頃は六十五か七十ぐらいの老いぼれの顔が)――ふと私の視界に飛び込んできて、
(p.213)

そして、店を飛び出して、この男を丸一日尾行するという話です。ところが、この男が一体何をしているのか、何をしたいのかが分からないのです。読者は推理に付き合わされるわけです。

もう一作は「アモンティラードの酒樽」です。アモンティラードというのはスペインのお酒の名前です。

フォルトゥナートの数々の無礼は大目に見てきたが、侮辱となれば話は別で、私は復讐を誓った。
(p.343)

てなわけでフォルトナートに復讐する話なのですが、途中に出てくる家紋がなかなかいい感じです。

紺の地に巨大な黄金の人間の足が描かれ、その足が鎌首をもたげる蛇を踏みつけ、その蛇の牙が踵(かかと)に食い込んでいる図柄
(p.349)

踏まれた蛇が復讐中、って訳ですな。

 

黄金虫・アッシャー家の崩壊 他九篇
ポオ 著
八木 敏雄 翻訳
岩波文庫
ISBN: 978-4003230633

贅沢貧乏 (4)

どこまで行ったっけ、という感じの「贅沢貧乏」ですが、今日は収録作「文壇紳士たちと魔利」から紹介します。

この短編は、

34.1度の部屋の中で
(p.211)

という出だしから始まりますが、今だとこの気温はそれほど暑いって感じではなさそう。当時はエアコンはなかったようですが。

この小説では魔利は自分のことを「なめくじ小説家」と自称します。そのココロは?

なめくじが、どこへ行くのかもわからずにただ匍っているのとよく似た書き方ではあっても、そこからせめて年に一度は、一つの小説が生み出せると信じて、そのなめくじ小説を生み出すべく、日々、夜々、書き出しを探りあてようとしている
(p.211)

ということのようです。

この話には、小説家がたくさん出てきます。大谷藤子、室生犀星萩原葉子瀬戸内晴美川端康成、渋沢竜彦、吉行淳之介深沢七郎三島由紀夫北杜夫、など(敬称略)。

吉行淳之介の家で素麺を食べたときの話はワイルドです。たまたま歯が抜けているのを忘れて豪快に口に入れたら、

噛むことも吞むことも出来なくなった。進退極まった魔利は分け皿を取る手も遅しと吐き出した。丁度前に、銀鮫鱒次郎のような吉行淳之介が、涼しそうに前髪を垂らして辛子なんかを溶かしている眼の前である。手巾で蔽いはしたが、口一杯に大量の素麺が溢れ出たところは希臘(ギリシャ)のバッサンにある、大きな口から泉水を吐き出す半獣神のお面そっくりだったのは誰の眼にもわかったのだ。
(p.221)

何がしたいのかイマイチ不明ですが、三島由紀夫は紳士なので慌てないのでありますが、これフィクションじゃなくて実話なんですよね?

三島邸での北杜夫との会話も謎です。

魔利がふと、どこかの雑誌で読んだことを想い出して、「夜中にラアメンを召上がるのですか?」と言うと、向い合った椅子にいた彼は「ラアメンは美味しいですよ」と、言ったが、その短い言葉の間に彼の顔は急激に魔利に近づき、忽ち彼の顔は魔利がコンパクトに映した自分の顔位の近さだと、錯覚した位のところまで来た。
(p.233)

そう、夜中に食べるラアメンはとても美味しいのです。体に悪いという人もいますが、体に悪いものはオイシイのです。

岡本太郎の家に行ったときの話も何が何だか分からないものです。家でオブジェを見たときに

はるか昔、巴里の藤田嗣治の家に行った時、フジタから、同じような感じを受けとった
(p.236)

芸術家の匂いがする、ってことなのでしょうか。小説家と芸術家はまた違った空気を漂わせているようです。この家から出るときに玄関に行くと、同じ靴が2列に十二、三足並んでいます。

魔利が「これはみんな貴君の靴ですか?」と訊くと、彼は「うん、今に百足になったら履こうと思うんだ」
(p.236)

魔利もたいがいおかしいのですが、上には上がいるのです。

最後に1つ、名言を紹介します。

まっかな嘘の悪口なんか、みみずのなき声だと思えばいいのである。
(p.215)


贅沢貧乏
森 茉莉 著
講談社文芸文庫
ISBN: 978-4061961845

マンガ 孔子の思想

今日も先日に続いてテレワークで書類整理【謎】だったので、一冊読んでみました。ていうかコレ何のテレワーク。今日は「孔子の思想」です。

孔子といえばドナドナで有名ですが【違】、先日紹介したマンガと同じ系列です。ただし、今回の方が、漫画が理解の助けになっているような感じがしました。

故きを温めて
新しきを知れば、
以て師たる可し。
(p.108)

四字熟語として有名な「温故知新」の元ネタです。漢文は、「子曰、温故而知新、可以為師矣。」です。マンガの吹き出しは、

昔の物事を 究めて 新しい知識 見解を得る
これこそ 教師たる者の 資格なんじゃ
(p.108)

掲示板でよく「歴史を学ぶ意味はあるのか」的な質問があるのですが、一般的には、歴史を学ぶのは過去を知るだけでなく、それを活かして未来の社会を予見するためなのです。学校で教えている歴史の授業は、何年に何があったとか、誰が何をした的な史実丸暗記的な内容に終始しがちなので、そのような疑問が出てくるのも仕方ないのでしょう。

例えば日本では過去に何度も疫病が大流行し、その都度対策・工夫をしてきたという歴史があります。その歴史を知っていると今回のようなコロナ対策に応用できるはずなのですが、じゃあ陰陽師を呼ぼうという人は、今回はまだいないようですね。

もう一つ有名なのを。

過ちて改めざる、
これを過ちと謂う。
(p.214)

「子曰、過而不改、是謂過矣。」。改めたら過ちは過ちにならない、というのは甘すぎるような気がしますが、人間はエラーをするものですから過ちを避けられないというのも事実なのです。だからフェイルセーフのような発想が重要になるのです。


マンガ 孔子の思想
蔡 志忠 著
和田 武司 翻訳
野末 陳平 監修
講談社+α文庫
ISBN: 978-4062560740

赤死病の仮面

今日は先日ちらっと話題に出した、ポオ作「赤死病の仮面」(The Masque of the Red Death)です。岩波文庫の「黄金虫・アッシャー家の崩壊 他九篇」に収録されています。

「赤死病」というのは、黒死病(ペスト)から想像した架空の病気とのこと。

疫病の感染、進行、終焉の全過程は半時間以内
(p.225)

感染して30分で死ぬという大変な病気です。コロナどころではありません。感染したら終わりです。多分マスクも無意味です。プロスペロ公はこの凶悪な病気に対して、

宮廷の騎士や貴婦人の中から健康闊達な連中を一千ばかり御前に召し、これらの客どもと城塞風につくられた僧院のひとつに遠く世塵を避けて引きこもった。
(p.225)

僧院は高い壁で囲まれていて、出入口は全てロックして出入りできない状態にしました。ロックダウンです。壁の外で疫病が大流行していても、壁の中は無関係というわけです。デカメロンはペストの流行から避けるために郊外に逃れた貴族が話をするという設定になっていますが、疫病が流行したときに外界から遮断された閉鎖空間に立てこもる、という対策は昔からあったのです。

プロスペロ公は仮面舞踏会を開きます。マスクパーティです。会場は7つの続き間で、青、紫、緑、オレンジ、白、菫色、この6つの部屋は窓の色と部屋の色が統一されていますが、最後の7番目の部屋だけは、部屋は黒、窓は赤になっています。黒と赤という色彩は、黒死病(ペスト)と赤死病を連想させます。

この会場に突然、赤死病のコスプレをした人物(?)が現われます。この不届き者に対してプロスペロ公は叱責し、仮面を取れと命じるのですが、乱入者に立ち向かう者は誰もおらず、この男が、

青の間を通って紫の間へ――紫の間を通って緑の間へ――緑の間を通ってオレンジ色の間へ――そこからまた白の間へ――そしてまた菫色の間へと進んでいった
(p.234)

この描写の色鮮やかなインパクトが物凄いです。プロスペロ公は仮面の人物を追いかけていき、対峙して、後はご存知の通りとなるわけです。

 

黄金虫・アッシャー家の崩壊 他九篇
ポオ 著
八木 敏雄 翻訳
岩波文庫
ISBN: 978-4003230633