Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

男子御三家 麻布・開成・武蔵の真実 (3)

今日は「男子御三家」の3回目。第3章は、「武蔵 勉強を教えない「真の学び舎」」というタイトルが付いているのですが、勉強を教えないで一体何を教えているんだ(笑)。

例えば、センター試験の勉強会をやろうと思った生徒が教室を借りようとしたら却下されます。

受験勉強なんか学校でやるものじゃない。ここは学問をやる場所だ。受験勉強をしたいなら自分ひとりでやれ
(p.168)

勉強ではなく学問をやる場所だそうです。さらに、現副校長の高橋先生が武蔵の生徒だったころ、先生にこんなことを言われたとか。

教師の言うことを信じるな
(p.168)

その言葉を信じていいのだろうか。私もよく知恵袋の回答に「回答を信用するな」と書きますけどね。それを書いているときはオレを信じたら負けだぞ、と思いながら書いています。ちなみに、もっとズバリ書いてあるところもあって、

『武蔵の授業っていうのは教えないというのを意識してやっていたんだな』ということです。教えちゃうと、正解をすぐ求めるようになってしまい、自分で問題を探しに行くことをしなくなる。
(p.176)

勉強を教えないどころか「教えない」んですね。どんな授業かというと、例えば日本史。

一年間丸々使って『江戸時代の相撲』の話のみ。
(p.178)

そんなんで大学入試に対応できるのだろうか。この本の236~237ページに2016年度~2019年度の東大合格者数ランキングが出ていますが、開成は不動のトップ、麻布は常にベスト4に入っています。ちなみにベスト4の残り2校は2018年まで筑駒と灘でしたが、2019年度に異変があって、灘が聖光学院に抜かれて5位になっています。

一方、武蔵は28位、20位、20位、27位とパッとしません。パッとしないといっても1学年定員160人から毎年20人以上の合格者を出しているのはそれなりに凄いのですが、先生が教えないのになぜ合格できるのか謎です。

武蔵の創始者根津嘉一郎さん。

一八六〇年(万延元年)、根津嘉一郎甲斐国山梨郡にて生を受けた。
(p.186)

武蔵高等学校が発足したのは一九二二年四月。この時から理科の「お土産問題」があったというから凄いです。「お土産問題」というのは、

理科の試験の際に、問題用紙以外に受験生たち全員に小さな封筒が配布される。そして、その封筒を開けると「あるもの」が入っている。その「あるもの」を受験生たちにじっくり観察させて、図などを描かせたうえで、その特徴について論述させるのだ。
(p.173)

これは持ち帰っていいので「お土産問題」なんですね。本で紹介されているお土産は、「一本の紙テープを折って作った栞」「チャックのついた透明な袋」+「切り出したチャック」+「虫眼鏡」、「みかんを包むネット」など。ググれば面白いものがたくさん出てきます。

武蔵中学・高校・大学は西武池袋線の江古田(えこだ)駅にあります。この駅は武蔵高等学校の設立の年にできていて、

当時の駅名称は「武蔵高等学校用仮停留所」
(p.170)

根津嘉一郎さんは大株主だったので駅を作らせたようです。この江古田という街が学生街になって、後には地下鉄大江戸線に「新江古田」という駅ができますが、これは「しんえごた」と読みます。「えこだ」と「えごた」?

「江古田通り」という練馬区と中野区にまたがる一本の道があるが、練馬区側では「えこだ通り」、中野区側では「えごた通り」と呼ばれているらしい。
(p.170)

密かな戦いがあるとは知らんかった。ちなみに江古田駅練馬区にありますが、練馬には江古田という地名はありません。こういうの、駅名あるあるですね。

ところで、武蔵には修学旅行がありません。昔はあったのに廃止されたそうですが、その理由が釈然としません。

自分たちが泊まっているホテルまで一頭の鹿を連れ帰ってきた。結果、ホテルの中で鹿が暴れて大騒動になり、学校側が激怒して修学旅行をやらなくなったらしい
(p.204)

という説もありますが、

はじめて新幹線に乗るという生徒がいたんです。彼は新幹線のガラスがかなり強度に造られているという話を聞いて興味津々だった。で、実際どれくらい頑丈なんだろうと金属か何かを叩きつけたら、ガラスが割れて大騒動に発展した。
(p.204)

こっちなのか? もはや都市伝説化していて真相が分からない。どれも本当にありそうなのが怖いです。

武蔵生たちはみんな見事にバラバラ。あえて共通点を挙げるなら『ほかの人と同じことはしない』ということ。
(p.205)

共通点がないという属性は共通点とみなしていいのでしょうか。

武蔵の文化部は13あるそうです。

「気象部」「物理部」「生物部」「太陽観測部」「化学部」「地学部」「音楽部」「民族文化部」「E.S.S.」「将棋部」「鉄道研究部」「奇術部」「ジャグリング部」
(p.210)

若干の違和感があるような気がしますが…。

運動部、文化部ともかなり高いレベルで実績を残しているところが多い。
(p.211)

例えばジャグリング部は全国大会で個人優勝したことがあるそうです。個人優勝ってのが武蔵っぽい? それも学問なのかな。

これで御三家の紹介は終わりなのですが、終章「男子校の潮流」で、大学入試に強いのはなぜか分析しているのが面白い。

共学校だと女の子のことで頭がいっぱいになってしまう。
(p.234)

いやそんなことは…と思いたいですが、実際に東大合格者ランキングの1~5位を男子校が独占しているわけです。ちなみに2019年度に6位に入った渋谷教育学園幕張は共学校。この学校も「自調自考」がモットーで、何となくランキング上位校の共通点が見えてきます。


男子御三家 麻布・開成・武蔵の真実
矢野 耕平 著
文春新書
ISBN: 978-4166611393

男子御三家 麻布・開成・武蔵の真実 (2)

昨日に続いて「男子御三家」。第2章は「開成 運動会で結束を強めるエリートたち」。

開成高校は東大合格者数ナンバーワンで有名です。そのスーパー進学校が実は併願校になっているという驚きの事実があります。

開成を第一志望校にして晴れて入学してきた生徒の割合は、麻布や武蔵に比べるとやや低い傾向にある。
(p.139)

御三家で偏差値トップの学校が第一志望じゃないというのはどういうことか。

両校を「併願」する受験生が数多くいる
(p.139)

この併願校というのが通称「筑駒」、筑波大学付属駒場です。開成は東大合格者数はトップですが、東大合格率は筑駒に負けているのです。上には上がいるというわけですが、まだその上には理三合格率トップの灘という化物のような学校もありますね。

第一志望校を筑駒、第二志望校を開成とする受験生が相当数いるのだ。
(p.140)

この本には筑駒に落ちた人の話も紹介されています。

一二歳の当時、もう本当にショックで、生れて初めてミスしたな、なんて思いこむくらい失意のどん底にいました。
(p.140)

初めてというのが何というか…開成が滑り止めというのは想像できない世界かもしれません。とはいえ、入ったら「さあ頑張って勉強しよう」となりそうなものですが、その開成に入学した生徒は、まずショックを受けるそうです。

それまで自分の武器となっていた『勉強面での優秀さ』というものが完全に無効になってしまう
(p.105)

オレはできると思って入学したら、周囲がみんなデキる奴なんですね。ということは、

開成では「勉強ができる」「東大に合格できる学力を備えること」は学内のヒエラルキーにおけるアドバンテージには一切ならない。
(p.106)

東大に合格するのが普通なのです。だから他に優位性を求めるしかありません。とはいっても、もちろん勉強しないわけではなく、開成には「百傑」という言葉があります。

高一から『実テ』(実力テスト)が学校で始まります。この成績をもとに開成では『百傑』(上位一〇〇名)とか『裏百』(下位一〇〇名)と伝統的に呼ばれるランク付けが始まります。
(p.146)

ランキングが好きなのは単なる国民性でしょうか。中高の偏差値教育がランキング大好き人間を量産しているような気がしないでもないですが。

さて、開成の歴史は、

開成の前身となる「共立(きょうりゅう)学校」は一八七一年(明治四年)に幕末の進歩的な知識人であった佐野鼎によって創立された。
(p.111)

しかし、この佐野さんがコレラにかかって死んでしまい、共立学校がピンチになります。

これを打開したのが初代校長に就任した高橋是清である。
(p.113)

このときに掲げたのが受験予備校です。この当時から既にトップ進学校だったわけです。

ところで、開成といえば勉学というイメージだと思いますが、実は運動会がヘビーなのだそうです。

開成の子たちは学内、とりわけ運動会などの行事を通じて『ミニ社会』を経験しているのでしょう。
(p.122)

一体どういう競技があるのかというと、これは有名だと思いますが、

クライマックスはやはり高校二年生、三年生による「棒倒し」である。
(p.128)

園都市の運動会でも結構盛り上がってましたね、棒倒し。東大合格者数ナンバーワンに、体育祭が何か関係しているのでしょうか。

『お前たちはエリートだ。エリートは体が資本だ』
(p.129)

それで運動会なんだそうです。無理やり納得することにします。

もちろん文化祭にも力を入れています。そういえば、最近とある所で、進学校ほど部活と勉強を両立するものなのか、という質問があって、勉強しないような学校はそもそも両立できないだろ的な回答がついて、そりゃそうだと思ったのですが、開成の文化祭は開成祭といいます。

開成祭の凄いのは、お金の管理、資材の管理、人数の割き方、タイムスケジュール……。その何一つとして先生たちは関わっていないところです。
(p.136)

それってすごいのかな…とちょっと思いましたが、いや、何でもありません。

(つづく)


男子御三家 麻布・開成・武蔵の真実
矢野 耕平 著
文春新書
ISBN: 978-4166611393

男子御三家 麻布・開成・武蔵の真実

今日紹介する本は「男子御三家」。御三家というといろんな御三家がありますが、今回の御三家は、

東京にある私立男子校「麻布」「開成」「武蔵」の三校
(p.8)

のことです。

ちなみに女子御三家は「桜蔭」「女子学院」「雙葉」です。いずれも、御三家は難関大学に多数の合格者を出している進学校として有名なのですが、さぞかし凄い進路指導をしているのだろうと思う人もいるでしょう。ところが、卒業生にどのように進学指導されたか尋ねると、

「特に進学指導らしい指導は受けていない」という。
(p.14)

(笑)

どんな指導なのかはこの本を見てください。超絶脱力すること請け合いです。

各校のカラーを喩える話があって、

もし複雑なプラモデルを組み立てるのであれば?
麻布生……組立説明書は無視、感覚だけで独創的かつ味のある逸品を制作する。
開成生……組立説明書を一言一句しっかり読み込み、精巧で完璧な作品を制作する。
武蔵生……組立の途中で各パーツにのめりこんでしまい、なかなか作品が完成しない。
(p.21)

これではわけがわかりません。本の表紙には「鬼才、秀才、そして変人…」と書いてありますが、鬼才とは麻布、秀才とは開成、変人とは武蔵を指しているそうです。いい意味で。

第1章は「麻布 プライドを持って自由を謳歌する」。

麻布の特徴は「自由」です。

麻布は細かい校則とか生徒手帳とか、それこそ制服すらありません。
(p.69)

校則がないというのですが、暗黙のルールというのがあって、

「賭け麻雀の禁止」「鉄下駄での登校禁止」「全裸での外出禁止」「授業中の出前禁止」
(p.72)

鉄下駄は華麗にスルーするとして、授業中でなければ出前をとってもいいのか、という件はこの後、放課後にラーメンの出前を取って事務の人に超怒られたという逸話が出てきます。

今度出前とるときは事務室に届けさせないで、直接教室に届けるように
(p.72)

事務の人の仕事を増やしてはいけませんよね。卒業アルバムは服装自由ということで、

なぜか全裸になって写っている子がざっと数えただけで一〇名ほどいる
(p.26)

まじすか。そんな麻布中学に入る理由は何なのかというと、

小学生のときに麻布の文化祭に来たら、もう女子校生の数が半端なくて。おぉ、こんな俺でもこの学校に入ったらモテるかもしれないぞ。
(p.14)

そんなきっかけなんですね。東京で中学受験をする小学6年生が行く塾は元日から授業をやっている位ですから、もちろん簡単に入れる学校ではないです。麻布の校長、平秀明先生によれば、

「麻布の入試問題は、知識の多寡を問うというよりは、中高時代にぐんぐんと伸びていきそうか、そんな可能性を持った子を発掘したいという意識で作成しているんです」
(p.58)

とのこと。

麻布の創設者は江原素六さんです。

江原素六は、一八四二年(天保十三年)、幕臣荏原源吾の長男として江戸で生まれた。
(p.63)

いろいろ苦難を乗り越えているうちに板垣退助と出会い、同行するようになり、その後麻布鳥居坂にあった東洋英和学校の幹事となります。これが麻布中学・高校の前身となります。

麻布生を分類すると、3種類になるそうです。

部活に励んでいる人、勉強に打ち込んでいる人、文実や運実に取り込んでいる人。
(p.74)

文実というのは文化祭実行委員のことですね。東大合格ランキング常連高というと、勉強ばかりしているイメージがあるかもしれませんが、現実は違うようです。先程も出てきた平先生によれば、麻布中に入学してきた子には、勉強のことは言わないといいます。じゃあ何を言うのか。

早寝、早起き、朝ごはん
(p.84)

朝ごはんは重要ですね。

ちなみに、塾にはどの程度の生徒が行ってるのか。高一で6~7割、高二、高三で9割だとか。残りの1割は何だろう。

『塾通いしているヤツをバカにするためには、俺は塾には絶対に行かず大学受験するからな』
(p.85)

みたいな人らしい。よく分からん動機ですが、この人の成績が高二の終わりで300人中280番だった、というのがかなり意表を突いてますよね。しかもこの人は口先だけではなくて、三年生で猛勉強して東大に現役合格したというからわけがわかりません。

何か長くなったので、久々ですが、ここで一旦区切ります。

(つづく)


男子御三家 麻布・開成・武蔵の真実
矢野 耕平 著
文春新書
ISBN: 978-4166611393

クリティカル・シンキング入門

残念ながら、手に取ってみて、これアカンやつや、と思いました。

もし、あなたがクリティカル・シンキングに関して知りたいと思っているのなら、読まない方がいいです。多くの大学入試の現代文の参考書と同様、この本は、おそらくクリティカル・シンキングの能力がかなりないと読めないような文章で書かれています。つまり、その能力を持っていないと正しく理解することができないでしょう。

もっとも、幸いなことに、本当にクリティカル・シンキングの能力がない人がこの本を手にしたら、最初の数ページを読んだ時点で「ごめんなさい」と言って、他の本に手を伸ばすと思います。だから全部読んで時間を無駄にするような悲劇は起こらないでしょう。ただ、Amazon のレビューを見ると和訳がダメという意見があるようですが、私は原著を読んでないのでそこはよく分かりません。

もう一つ重大な問題点があります。例えば、p.28の例3は次の文章を解釈しています。

鉄道を旅行者にとってもっと快適なものにする必要がある。道路にはたくさんの車があふれており、環境と人間の安全に対する脅威となっている。鉄道旅行は値下げすべきだ。誰しも道路の混雑の緩和を願っているが、自分で車を運転して旅行できる便宜も望んでいる。何か新しく人をひきつけるものがなければ、車を捨てて鉄道を選びはしないだろう。
(p.28)

この例3に対して、この議論の結論は何か、というのが問題です。これ自体が酷い文なので解釈しようもない、という結論でも充分ロジカルだと思うのですが、本文では、

この例文については、次のように書き直せば、大半の人には意味が通ると同意するだろう。
鉄道を旅行者にとってもっと快適なものにする必要がある。
道路にはたくさんの車があふれており、環境と人間の安全に対する脅威となっている。[そして]誰しも道路の混雑の緩和を願っているが、自分で車を運転して旅行できる便宜も望んでいる。何か新しい奨励策がなければ、車を捨てて鉄道を選びはしないだろう。したがって、鉄道を旅行者にとってもっと魅力的なものにする必要がある。したがって、鉄道旅行は値下げすべきだ。
(p.33)

というのですが、あなたは同意しますか?

私は同意する気がしません。なぜなら、次のように脳内補正して読んでしまったからです。

『鉄道を旅行者にとってもっと快適なものにする必要がある。なぜならば、鉄道旅行に抵抗があるために、道路にはたくさんの車があふれており、環境と人間の安全に対する脅威となっているからだ。そのために、一つの案としては、例えば鉄道旅行は値下げすべきだ。誰しも道路の混雑の緩和を願っているが、自分で車を運転して旅行できる便宜も望んでいる【意味不明】。他の案としては、鉄道自体に付加価値を与えて魅力を増すというのはどうか。何か新しく人をひきつけるものがなければ、車を捨てて鉄道を選びはしないだろう。』

その読み方はクリティカルではないだろう、というのは理解していますが、そもそも元の文章がクリティカルじゃないのですから、クリティカルに解釈しなくても構わないはずです。この解釈だと、「鉄道を旅行者にとってもっと快適なものにする必要がある。」という最初の問題提起そのものが結論であり、その後に書かれていることは、それを実現するための数多くの対策の中の一例に過ぎない、単なる補足的な説明ということになります。

まだ紹介していない本ですが、「木を見る西洋人 森を見る東洋人」に次のような説明があります。

東アジア人は、論理よりも結論の典型性やもっともらしさを優先する傾向がある。
(木を見る西洋人 森を見る東洋人、思考の違いはいかにして生まれるか、リチャード・E・ニスベット 著、村本 由紀子 翻訳、ダイヤモンド社、p.191)

例3を日本人が読んで解釈するときに、結論の典型性ということで最初に出てきた「鉄道を旅行者にとってもっと快適なものにする必要がある。」は、日本人であればこれを結論とみなして違和感がなく、欧米人の場合はこれを結論とすることに抵抗があるのではないか、と想像します。最初の文章が曖昧な内容であればあるほど、それに対する合理的な解釈は増えます。そのような時の考え方を単純なロジックで解釈するのは無理なのです。

とはいっても、クリティカルシンキングでは解釈不能な曖昧な文章を無理やりクリティカルに曲解して、無理ゲーを何とかクリアするスキルが欲しいというのであれば、クリティカル化するためにはどういう手があるか、という知識を得るという点において、この本に出てくるいろんな手法は役に立つかもしれません。


クリティカル・シンキング入門
アレク フィッシャー 著
Alec Fisher 原著
岩崎 豪人 翻訳
浜岡 剛 翻訳
山田 健二 翻訳
品川 哲彦 翻訳
伊藤 均 翻訳
カニシヤ出版
ISBN: 978-4888489720

音楽のなかの言葉

今日の本は「音楽のなかの言葉」。音楽がどのように表現するかを、楽譜を交えて理論的に解説していく本。

「どのように表現」といっても具体的に何をという話にはならない。音楽の表現する対象は音で、文字ではないからだ。登場する巨匠たちは、モーツァルトベートーヴェンシューベルトシューマン、リストなど。多くの箇所で楽譜を使って読み解き方を紹介していて、特にシューベルトの解説は楽譜が大量に出てくるので、楽譜が読めて、曲も既知であることが望ましい。

はっきりと秩序を破るためには秩序の枠を設定する必要がある。
(p.34)

音楽の基本は「解決」。不協和音でアレっと思わせておいてから協和音に移って納得させるのがパターンになっている、不和から話に遷移することでリスナーは安心感を得るのだ。この遷移には暗黙の、あるいは和声学的なルールがあって、聴衆はその秩序を期待しながら聴いているから、想定していない変化が現れたときに、聴衆は「あれっ?」と疑問を持つことがある。

クラシック音楽は、つねにシリアスであるべきか」では、意表を突いた音の展開は許すべきかという話である。もちろん巨匠の作る音楽は、意表を突いたギャグであっても最後は予定調和的に終わるのだが、そうでないような音楽も不可能ではないわけだ。

今のヒット曲の作曲家も、同じ人が作ると似たようなフレーズが出てくるが、それは個性という意味では当たり前のことではあるが、

大作曲家たちがいくつかの作品をほぼ並行して手がける場合、どのように書いているのだろう。
(p.134)

その答はざっくり言えばネタを使いまわしている、というのだが、その証拠をいちいち楽譜で示してくれているから面白い。

ちょっと違和感があったのは、コンサートで聴いた音楽の方がレコードよりも印象的な理由。

聞き手としての私の経験を信じるなら、なぜ感動的なコンサートの方がレコードよりも強い記憶を残すのだろうか。演奏者と同じように、聴き手も肉体的な体験を持つからである。演奏を聴くだけでなくそのなかで呼吸し、自分自身が参加し、ほかの多くの人々と熱狂を分かち合ったからである。
(p.272)

個人的には、コンサートは殆ど行ってないので真髄を知らないだけなのかもしれないが、コンサートと録音された音楽を比較すると、スタジオ録音の方が印象に残っているような気がする。細かいバランスのような所がレコーディングだと何度もやり直して精度が高いからではないかと思っている。逆にいえば、ライブは何が起こるか分からない、即興的に変化する音の面白さはライブの醍醐味なのだ。


音楽のなかの言葉
ルフレート ブレンデル
Alfred Brendel 原著
木村 博江 翻訳
音楽之友社
ISBN: 978-4276203631

宇宙島へ行く少年

今日はアーサー・C・クラークさんの「宇宙島へ行く少年」。Islands in the Skyです。(※)

主人公はロイ・マルカム。16歳。優勝したら地球のどこにでも行けるというクイズ番組で優勝します。どこに行きたいかを選ぶときに言ったのが、

「低位ステーションに行きたいんです」
(p.10)

これは比較的低い軌道を周回している宇宙ステーションのこと。法的には地球の一部となっているとゴネて、事実上の宇宙旅行に行くことになります。年代設定はいつでしょうね、途中、2054年に制定された法律の話が出てくるので、その後であることは分かりますが。どこかに出ているかもしれません。

ステーションに着いたロイの面倒を見るのは、ドイル司令。ロイはドイル司令が椅子から出てきたところを見て驚きます。

なぜならデスクの上に出たとき、ドイル司令には脚がないことがわかったのだ。
(p.38)

両足がないなんて地球上では大変なハンデですが、ステーションは無重力なので足がなくても関係ないのです。ドイル司令は、水星を探検していたときの事故で両足を失ったのですが、その様子が後半に出てきます。

大きな白いものが、岩をしきりに引っ掻いていた。初めて見たときは、幽霊のようで、ぎょっとしたことを白状してもいいだろう。
(p.149)

水星に生物がいる、というシナリオは面白いですね。それも微生物のようなレベルではなく、巨大な生物です。水星は常に同じ面を太陽に向けているので、太陽を向いている面は灼熱、その逆の面は凍り付いた世界ですが、その境目に生物がいるという設定なのです。両足はこの生物にやられたわけです。

この小説が書かれたのは 1952年。今ではリアルに宇宙ステーションで宇宙飛行士が生活していますが、当時はまだガガーリンが宇宙飛行をする1961年よりも9年も前ですから、宇宙ステーション内の様子は全て空想です。それが実にリアルで、今の時代に読んでもそんなに違和感がないというのが面白いです。

 

宇宙島へ行く少年
アーサー・C. クラーク 著
山高 昭 翻訳
ハヤカワ文庫SF
ISBN: 978-4150106829

※ 文庫本表紙には ISLAND IN THE SKY と書いてあるが、書名は amazon 等で入手できる洋書の名称 Islands in the Sky とした。

天主信長〈裏〉 天を望むなかれ

先日紹介した「天主信長」の裏バージョン。ストーリーの基本の流れは表と同じですが、こちらは黒田勘兵衛の目線で描かれています。

何でこちら目線の物語を書きたかったのかな、と思ったのですが、読んでみて分かったのが、播磨国のぐちゃぐちゃぶり。勘兵衛の主君である小寺政職が優柔不断で、しかも要職の面々も保守的で信長がやってくるという時勢が見えない。このままでは播磨は滅びるとみた勘兵衛は、さっさとどこかに鞍替えしてしまえばいいのに、播磨で頑張るところが結構面白い。重職会議は錯綜しますが、とりあえず結論としては、

「織田につく」
(p.155)

小寺政職が織田側になることを決めたのは長篠の合戦の後でした。官兵衛は最初、荒木村重に会いに行きますが、どうもよく思われていない。高山右近を紹介してもらい、キリスト教のレクチャーを受けた後、秀吉に会います。

「織田が欲しいのは、土地ではない。人じゃ。領主は奪えばいい。大量の鉄砲と兵をくりだせば、城など簡単に落とせる」
(p.173)

長篠の後に言うことですから説得力があります。秀吉は、国が乱れた後に立て直すには何が必要かと勘兵衛に問います。官兵衛は、人、時、金と答えますが、

金は天下をとれば勝手に集まる。
(p.174)

でも人は難しいというのですね、遣える人材です。だから欲しい。これは今も同じです。で、うまく説明できないとみた秀吉は、直接信長に会わせることにして、即行動します。信長もすぐに会ってくれて、勘兵衛が平伏していると、

「顔をあげよ、頭なぞ見ても意味ない」
(p.177)

まあそりゃそうですが。顔を見れば分かるのか、という話でもなさそう。

「藤吉郎。そなたが連れてきた。ということは、役に立つのだな」
「まちがいなく」
「ならば、小寺政職の本領は安堵つかわす」
(p.178)

信長の魅力はこのスピード感ですね。信長は初見の勘兵衛に名刀「圧切」を与ると、忙しいとかいってさっさと退出してしまう。人の扱いも上手い。

しかし、このストーリーの信長は、人間を信用しないキャラとなっています。

「和睦を交わし、人質を出し合っても、裏切りはなくならぬ」
(p.242)

その割に史実としてはアッサリと光秀に裏切られてヤラれてしまいますね。「裏」では小寺政職も簡単に寝返える性格だし、もう裏切りシーンだらけです。

そして、半兵衛が秀吉の策士となった理由もしゃれています。

明智光秀のように学もあり、策もたてられる将のもとでは、半兵衛の値打ちは半減する。秀吉のもとなればこそ、輝いた。
(p.301)

個人的には、秀吉は知恵者というイメージがあるのですが、秀吉は学がないから半兵衛が引き立つというのは、説得力のある設定かもしれません。


天主信長〈裏〉 天を望むなかれ
上田 秀人 著
講談社文庫
ISBN: 978-4062776226