Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

雑記

今日はイヤというほどXMLと格闘していたのでもう頭が寝ています(笑)。電車は急いでギリギリ乗れないパターンでした。

今やっているのは2013年頃の日記データの変換なのですが、作業中は、これ全部消したら楽だよなー、的なことを考えながらちょろちょろとやっています。何しろ、リンク先のページは殆ど先に消えているのです。日本の Webサイトは、もう少しデータを永続化することを考えた方がいいと思います。

 

浜村渚の計算ノート 4さつめ 方程式は歌声に乗って

今日は、浜村渚の計算ノート4さつめ、方程式は歌声に乗って。4作目の「オペラ座の未知数」がミュージカル仕立てになっているので、このタイトルのようです。オペラ座の怪人は結構好きな小説なんです。

1作目「モンティ・ホール・クイズショウ」は、もちろんモンティ・ホール問題。条件付き確率ですね。ベイズの定理です。ん、ベイズって言葉は出てきたのかな、見落としたかもしれません。

2作目「折る女たち」は折り紙がネタです。折り紙というのは案外数学と関係ある奥の深い分野なのです。入試問題には、折るとどうなるか、みたいな問題が出ることがありますよね。

「『3通りの箱』が折れる展開図って、あるんでしょうか?」
(p.170)

あるのでしょうか? 

3作目「事情だらけの総合病院」は、四角数、バーゼル問題、四平方の定理。2乗と事情をかけているようです。

この話の中で、両足の骨にひびが入って入院中の大山あずさの病室を犯人が襲うことが分かって、大慌てで駆け付けてみたら、犯人が床に伸びていました。

両足が全く使えないという大きなハンデを背負いながらも突きが胸にヒットし、痛がってうずくまっているところに後ろからシーサーの置物を叩きつけて気を失わせた
p.233

容赦ないですな。

4作目「オペラ座の未知数」のネタは方程式、ディオファントス方程式が出てきます。

『ここに眠る男ディオファントスは、その生涯の1/6を少年時代として過ごした。その後生涯の1/12を過ぎてからヒゲを伸ばしはじめ、その後生涯の1/7を過ぎて結婚し、5年後に子どもが生まれた。子どもはディオファントスの生涯の1/2を生きて亡くなり、その4年後に本人も亡くなった。ディオファントスは何歳まで生きたか?』
(p.311)

これを方程式を使わないで解くのは面倒そうですが、コンピュータなら総当たりしたくなりますね。

あとがきには、数学と音楽の話が出てきます。

まあとにかく、音楽の裏にも、数学はべったりと張り付いているということですよね。どちらもとても美しく、自由で、∞(無限大)の可能性が広がっているんです。
(p.357)

数学と音楽に関しては、このブログでも何度か紹介した GEB というのはバッハが出てきますからね。

数学と音楽と哲学は表裏一体なのです。


浜村渚の計算ノート 4さつめ 方程式は歌声に乗って
青柳 碧人 著
講談社文庫
ISDN: 978-4062774918

浜村渚の計算ノート 3と1/2さつめ ふえるま島の最終定理

なぜ「3と1/2さつめ」、という中途半端なナンバリングかというと、あとがきに、

「浜村渚と刑事たちがテロ組織と戦う」という本筋からはちょっと離れた内容なので
(p.369)

と書いてありました。なるほど。意味不明ですが。今回は殺人事件。クイーンのように読者への挑戦状とか出てきます。私は無視して推理せずに読んでしまいましたが、推理すると面白いかもしれません。

タイトルに「ふえるま島」という名前が出てくるることからも推測できるように、本編は、フェルマーの最終定理がメインの伏線【謎】になっています。フェルマーの最終定理は有名なので今更説明する必要はないと思いますが、要するに余白が足りないと証明を書くことができないという定理です【嘘】。

他にもいろいろ数学ネタが出てきますが、例えば双子素数 (p.54)、ニコラ・ブルバキ (p.76)、フェルマー数 (p.79)、パスカルの三角形 (p.98)、クラインの壺 (p.125)、無限降下法 (p.207)、岩澤理論 (p.347)など、数学マニアになじみ深い言葉が出てきます。ミステリ的には殆ど関係ないので安心です。

パズル・クイズ的なネタも出てきます。これも有名だと思いますが、天秤クイズ。

「この8枚の金貨の中に、1枚たけ、偽物が混じっています」
「偽物は他の7枚より、ほんの少しだけ軽いのです。さて、確実に1マイの偽物を見つけるのに、最低この天秤を何回使えばいいでしょう?」
(p.58)

このクイズのバリエーションとしては、重いか軽いか分からない前提の問題もありますね、もう一つ、こちらも割と有名なクイズだと思うのですが、

「私の遺した23の飲食店の店舗について、長男には全体の1/2、次男には全体の1/3、三男には全体の1/8を分け与えるものとする」
(p.178)

同じ解法を使う問題を別のブログで紹介したことがあります。

ジュースを50本飲むには何本買えばいいか: Phinloda の裏の裏ページ


浜村渚の計算ノート 3と1/2さつめ ふえるま島の最終定理
青柳 碧人 著
講談社文庫
ISBN: 978-4062773010

雑記

今日は連休の初日という人もいそうですが、ちょっと疲れたので雑記にします。一応、浜村渚の4さつめを読みました。このシリーズには黒い三角定規という悪の組織が出てくるのですが、それでいつも「青い三角定規」を思い出すんですよね。飛び出せ青春。

 

一発逆転マル秘裏ワザ勉強法 2020年版

これはいわゆる受験本、つまり大学入試のための勉強法を書いた本である。福井さんはおそらく、既にレジェンドと化している和田秀樹さんに続いて多数の受験本を書いている受験本のプロ。しかも脳科学に詳しいから、書いてあることに理論的な説得力がある。先に紹介したように、エビングハウス忘却曲線が間違っているというような主張が出てくると多少驚くのだが、基本的にはこの本の示している方針は納得できるものだ。

戦略は極限まで合理的で、効率的な受験対策を目指している。例えば、

時事問題対策であるが、新聞やテレビのニュースは絶対に見てはいけない! どこが大切なのか全然わからないし、時間のムダだ。
(p.142)

だから1か月のまとめ的な本を読め、という話になっているのだ。このように合理性が徹底している。

この本を読んで、書いてあることを理解し、実行することができたら、学力、もしくは受験力は、かなりいいところまで上がるはずだ。

というのは、この本に書いてある内容は、かなり実行することが難しいのである。この本に書いてあることを実践するには、かなりの理解力と行動力が必要だろう。誰でも出来るようなレベルではない。

だから、これを実践できるのは、それを既に持っている人だけだ。最初からある程度の能力があれば、この本の通りにやれば成功する可能性は高くなる。

例えば勉強時間の配分のところで、次のような話が出てくる。

1つの科目を「よく出る分野」「時々出る分野」「あまり出ない分野」と3段階にわけ、勉強時間を3:2:1という比率にする
(p.54)

出るかどうかは、過去の赤本を分析して調べろという、これも全く合理的な話だ。

しかし、それができる受験生がはたしてどの程度いるだろうか、その前に、この文を読んで理解できるだろうか?

Yahoo!知恵袋を見ていると「400点の8割は何点ですか」のような質問をする受験生が結構いるのだ。このレベルの人がこの本を読んでも、まず 3:2:1 というのが理解できない。3:2 も怪しいのに、3つも数を並べるなんて反則なのだ。

じゃあ比を理解していれば実践できるかというと「よく出る分野」と「時々出る分野」をカテゴライズするのだって、そう簡単なことではない。しかし、そこに具体的なやり方は何も書いてないのである。

おそらく、福井先生は受験生のレベルをかなり高いところに想定しているような気がする。例えば国立大学、あるいは私立でいえば早慶、最低でも MARCH が夢物語ではなくて現実的に狙えるあたりではないか。

合理的という特徴に関してもう少し紹介しておくと、まず学力は勉強量で決まるという前提がある。

受験には頭の良い悪いは全く関係がないし、思考力も必要ない。受験で大切なことは〝暗記した量〟と〝要領〟の2つである!
(p.26)

これは受験の世界では常識だ。もちろん受験生の視点でいえば、成績は地頭や才能で決まるという宗教もある。成績を勉強不足のせいにすると逃げ場がなくなってしまうから、自分以外の要因に全て押し付けて、言い訳として正当化したい、それは分かる。でも地頭なんてものは実際には存在しない架空の能力みたいなものなのだし、仮にそれがあるとすれば、才能は学習によって作られるというのが今は有力な説だから、地頭というのは勉強によって向上する能力の一種ということになってしまうだろう。

さて、学力が勉強量で決まるなら、入試に出るところに時間を割く。これが基本戦略になる。極端な話をいえば、次の入試本番で出る問題だけを勉強すればいい。ただ、それは誰にも分からないから、傾向というゆるいフィルターで勝負せざるを得ない。

必ず分野ごとに自分の得点力を計算し、その結果に基づいて勉強時間をうまく割り当てていく
(p.29)

言えば簡単なことだが、「うまく」などと言われても困るような気がする。

もう一つこの本で非常に特徴的に見えるのが、理由付けだ。具体的にいえば、3W1H法、というのがよくでてくる。これが福井メソッドなのだろう。

どこで(Where)、何を(What)、なぜ(Why)間違えたのか、その対策として今後はどのように(How)勉強すべきかを検討する
(p.59)

これも実際にできる人はかなりレベルの高い受験生だけだろう。なぜ間違えたのか分からないというのが普通の受験生の感覚ではないか。

この本の後半は科目別に攻略法が出てくる。また、おすすめの参考書が紹介されている。この参考書もいわゆる定番のものだけではなく、福井さんが実際にこれだと思った隠れた名著が出てくる。あまり使われていない名参考書を使うことで、他の受験生と差を付けるという作戦だ。同じ参考書ではダメとまで言う。

他のヤツらと同じ参考書で勉強していて、どうして彼らよりも良い成績を取れるというのだ?
(p.52)

福井さんらしいポジティブな考え方である。ネガティブな生徒は、他のヤツらと同じ参考書を使わないと他の受験生が解ける問題が解けないのではないかと不安になってしまうのだが。

攻略法に関して、数学の場合を紹介しよう。まず、レベルが基礎本、暗記本、演習本の3段階に分かれていて、

〝基礎本〟の使い方のポイントは、1分間考えて解けなかったら、すぐに答を見て、やり方を丸暗記
(p.94)
〝暗記本〟の使い方のポイントは、5分間考えて解けなかったら、すぐに答を見て、解法のパターンを暗記
(p.95)

考える時間が違うところがミソなのだろう。基礎に関しては瞬時に思いつかないと話にならないが、少し高度なパターンはそう簡単には思いつかないから少しは考えろというわけだ。演習本に関しては、

問題を見て10分考えながら、わかったところまでをノートに書く。この時点で解けそうにないと判断したら、すぐに正解を見る。解けそうだと判断したら、さらに10分間取り組んで答を出す。
(p.100)

20分というのは実際の入試で記述問題を1問解く時間の目安になるから、そこまで想定した実践力を鍛えるわけだ。

数学に関しては、こういう話も出てきて面白い。

「どんな三角形か?」という問題の答は、直角三角形・正三角形・二等辺三角形のどれかに決まっている。
(p.106)

確かに。理屈的にはABとBCが1:2みたいなケースもないわけではないが、確率的に当たればいいのなら、このような「解答パターン」だって役に立つ。数学の裏技みたいなものだ。ただ、これは大学じゃなくて中学受験レベルの秘伝だと思う。綺麗に図を描けば角度が分かることだってよくあるのだ。

総評としては、細かいノウハウと、具体的な参考書・問題集が結構な数出てくるので、ある程度の学力があればおすすめできる本である。

最後に、数学のヒラメキの話が面白かったので紹介しておこう。

ヒラメキという現象も医学的にはありえない。以前に一度見たことを完全に忘れていたが、その古い〝記憶〟が何かの誘因で突然よみがえること……これがヒラメキの正体だ。
(p.96)

ヒラメキがあることを説明しているように見えてしょうがないのだが…


一発逆転マル秘裏ワザ勉強法 2020年版
福井一成 著
YELL books
ISBN: 978-4753934423

雑記

今日は例の福井さんの勉強本を紹介するつもりでしたが、もう9時になってしまったので諦めて後日に回します。一言でいうなら、この本は、なかなかいい本だと思いました。国立・早慶レベルを狙う人なら役に立つはずです。

ただ、逆転合格というのはどうなのか、ちょっと疑問が残ります。

この本を読めば、どんなに頭が悪くても必ず秀才になれる。ウソではない。本当だ!
(p.3)

ウソではないと書いてあることは99.98%、ウソなんですよね(笑)。

もちろん、必ず秀才になれるというのもウソです。こんなことは誰でも分かります。本を読んでも実践しないと秀才にはなれないことは明白ですから。理解して実践して初めて結果が出せるのです。本当です。ウソではありません。

 

一発逆転マル秘裏ワザ勉強法 2020年版
福井一成 著
YELL books
ISBN: 978-4753934423

剣風の結衣

舞台は越前一向一揆、朝倉と織田が戦をしていて、どうにもならない一向宗が怒った、というような時代背景がある。戦国・一揆の時代だから泥仕合のようなバトルがたくさん出てくる。しかし元は平和な村だった。

この村では、鎧に使う革を納める代わりに軍役も免除されているので、村人が兵や人足に取られることもない。
(p.20)

これが戦争に巻き込まれて大変なことになる物語。略奪され、殺され、放火される。

「なんで、関係ない人の家にまで火なんかつけるんやろ」
「戦だからな」
(p.44)

最近は戦争なのに人道的とか訳の分からんことを言う風潮もあるようだが、所詮ただの綺麗事、現実的に戦になれば何でもアリというルールは世界共通である。ただ、日本の歴史において、西洋史でしばしば見られる殲滅的作戦を取ることはあまりない。これは農民を殺戮すると租税として作物を搾取できなくなるからであって、人道的な配慮ではない。世界という広い舞台なら略奪し尽くして次の土地を目指せばいいが、日本列島という範囲内でそんなことをすれば自滅してしまう。

主人公は結衣。下忍でくノ一。前半はショックで記憶喪失になっていて、なぜか殺しの技が使えることを不思議に思っている。納得いかないのか、結衣はよく考える。悩む。だから、読者も釣られて一緒に考えてしまう。これがこの作品のいい所だ。

「極楽ってのは、ほんとにあるんでしょうか?」
(p.52)

結衣は極楽を信じられない。今の時代だと信じないのが普通なのかもしれないが、戦国時代にこれは異常だ。せめて仏でも信じていないと生きてられない、そういう時代なのである。

次のセリフも面白い。

刀で斬られたり、鉄砲で撃たれたりするかもしらんのに。死んじゃうかもしらんのに、みんななんで笑てられるの?
(p.198)

これからバトルというときに皆が笑っているのはおかしいというのだ。ま、当たり前の感覚ではあるが、アニメ「ヨルムンガンド」にもそういうシーンが出てくる。女武器商人のココは大ピンチになるとやたら笑顔になるのだ。笑っても泣いても結果が変わるわけではないから、笑っていた方が楽しくていいだろう。そういう考え方もアリかもしれない。

結衣の親代わりは有坂源吾という元武士。源吾は仲間に裏切られて逃げる途中で結衣と出会い、結衣を連れて村に落ち延びる。源吾は普段はぼーっと生きているようだが、バトルになると武士の本性が姿を現す。

一人が叫んだ直後、その首が宙を舞った。男は返す刀でもう一人の槍の柄を叩き折り、切っ先を喉に突き立てる。
(p.84)

この男というのが源吾である。武士としての本気の技だ。武士も忍者も結局は殺人マシーン。

結衣が極楽の存在を疑うのは源吾の影響もあるのかもしれない。源吾が最後にとある娘を連れて逃げるときに、こういうことを言う。

「俺は、地獄や極楽が本当にあるのかどうかなど知らん。だが、人として生まれたからには、最後まで足掻き続けろ。俺が弥陀なら、生きることを諦めた者など、地獄に叩き落とす」
(p.289)

途中で諦めたら地獄に落とすというのだ。ある意味激烈かもしれない。

さて、忍者、武士とくれば時代物の作品としては僧侶の出番だ。ということで、賢俊という坊主が出てくる。これが狂信的でどうにも始末に負えない。

命など惜しくはない。死ねば、この身は弥陀のお側に召される。それは賢俊にとって、無情の喜びだった。
(p.188)

本人は正義感で動いているから説得は不可能。信じる者は救いようがない。

これまで、人を信じたことなど一度たりともない。
(p.206)

そういう性格なのだ。賢俊は誰も信用しない。信用するのは阿弥陀如来だけ。

「己の生になんの疑いも抱かない人間は、恐ろしいものです。己の信ずるもののためなら平気で他人を傷つけ、裏切り、命を奪うことさえ厭わない」
(p.12)

これがこの物語のテーマになっているという指摘は解説にも出てくる。こういう人間はいつの時代も怖い。ちなみに先のセリフは真矢というくノ一の言葉で、結衣はこの真矢の妹である。

さて、本作でその悪役を最も激烈に演じているのは曾呂利新左衛門という忍者だ。いわゆる上忍だ。下忍にこのように指導する。

「すなわち、力じゃ。力さえあれば、誰にも虐げられず、大切なものを奪われることもない。ひもじさに泣くことも、理不尽な世の仕組みに膝を屈することもない」
(p.226)

そういう曽呂利だって結構理不尽な圧力に屈服してきたらしくて、

羽柴筑前に取り入り、再び下忍を育て上げるまでにはずいぶんと苦労したぞ
(p.237)

なんてことも言っている。力でガチの勝負をするなら、上には上がいるわけだから当然そのような苦労を背負う。

余談だが、忍者の技を習得するのはなかなか厳しいらしくて、

「教えたはずだ。見えるもの、聞こえるものに捉われるなと。目や耳に頼りすぎるがゆえに、敵の数を読み間違えるという初歩的な過ちを犯す」
(p.240)

このあたり、柳生新陰流に通じるものがあるような気がする。新陰流自体、禅と密接なものだから、坊主とは相性がいいのかもしれない。

さて、この物語でもう一人いい味を出しているのが、お駒という茶屋の女主人だ。

四十歳くらいの、恰幅のいい女だった。
(p.122)

お駒は僧侶を言うことを信じていない。作り話と断じた上で、この世をうまく凌いで渡るスキルを持っている。源吾と同じく、仏がいないと断定はしないが、いるかどうか分からないというスタンスだ。理由は単純明快で、誰もあの世に行って仏様を見た人なんていないでしょ、というのである。現実派だ。

「この世には、人と人とがいがみ合う芽がいくらでもありますさけ」
(138)

「ありますさけ」は「ありますから」の方言だが、このあたりの方言だろうか。浄土真宗の派閥同志が勢力争いをしているのを冷めた目で批評する言葉である。寺だといっても違う宗派の寺は焼かれてしまう。

お駒は、人を殺して落ち込んでいる結衣に対してこんなことをいう。

どんな世の中であっても、誰も傷つけずに生きてくのは難しいもんや。
(p.272)

殺すのが辛いという時点で忍者は失格なのだが、お駒は人間としても仕方ないねというのだ。世の中は理屈通りではないのである。どんどん人が死んで行く中で、情というものはどうなのか、そんなことを考えさせられる作品だ。

最後に、源吾が死ぬところのシーンを紹介しておきたい。

梢の切れ間から、空が見える。いつの間にか夜は明けていた。頭上を重苦しく覆っていた雨雲は消え去り、どこまでも青く、透き通るような空が広がっている。
(p.292)

死ぬ寸前に空を見て美しいというのは、アニメ BLACK LAGOON でも出てきたのを思い出した。ヘンゼルとグレーテルの姉様が最後に撃たれるシーンだ。死に方としては、なかなかいいものなのかもしれない。


剣風の結衣
集英社文庫
天野 純希 著
ISBN: 978-4087458626