Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

独学の教室

今日の本は「独学の教室」。

複数の著者によるエッセイ集の形式の本で、

雑誌『kotoba』二〇二二年冬号(集英社)の特集「独学の愉しみ」を新書にまとめたものです。
(p.3)

とのことです。 インタビュー形式のものを含めて、 読書猿さん、吉田武さん、ウスビ・サコさん、澤井康佑さん、 鎌田敬介さん、志村真幸さん、青い日記帳さん、永江朗さん、 佐藤優さん、柳川範之さん、石塚真一さん、岡部恒治さん、 深川峻太郎さん、角幡唯介さん、の14人が独学法を紹介しています。

いつものノリで、概要とかではなく、気になった箇所を pick up して紹介していきましょう。まず、読書猿さんのインタビュー記事「独学者を阻む薄い壁」から紹介します。

独学者は自分が「しくじった」「偏っている」という自覚があるために、危険から身を引くことができる可能性が、そうでない人に比べて、ほんの少しだけ高いと思うんです。
(p.14)

何のことか分かりにくいと思いますが、ネットを見ている人は、知らないうちにコントロールされ、選択された情報を見せられている、ということに対比させているのです。独学者は自分で情報を選択するだけマシだ、ということでしょうか。

しくじったと自覚できる独学者はかなりレベルが高いような気がします。

発想法に関しては、

発想法とは、そもそも間違いを作るもの
(p.22)

発見は間違いの中から生まれる、というのは歴史が証明してくれそうですね。

次に、吉田武さんの「独学とは再帰なり 選ばれし者から選びし者へ」から。再帰というのは一般的にはあまり出てこない言葉だと思いますが、プログラマーなら常識で知っています。K&R The C Programming language という本の索引にある recursion という項目は有名です。

独学は再帰なり
(p.30)

学ぶことにより理解できることを増やせば、その結果今までよりも学べることが広がっていく、この繰り返しで自分自身を level up していく、そんなイメージでいいでしょうか。再帰とはちょっと違うような気がしますが、うまく説明できません。分からないことを自分に教えてもらう【謎】、というのが分かりやすいかもしれません。

高校時代に独学の手法を十分に理解出来たなら、少なくとも大学三年次までの座学科目に関しては独学で事足りる
(p.30)

宅浪という言葉があります。自宅浪人です。現役で目標の大学に入れなかった受験生が浪人を決意する場合、殆どは予備校などに通うことになります。宅浪は自宅浪人、独学で勉強して来年の合格を目指す受験生です。それを成功させるには独学のスキルを身に付けている必要があります。これを身に付けていないと宅浪は失敗します。

なお、宅浪の場合、勉強の手法だけでなく、健康管理やメンタルのコントロールも必要になります。

映像授業についての言及があります。

動画による学習は非常に疲れる。これが最大の弱点である。僅か五分でも対面授業では感じない長さを感じる。
(p.39)

問題点は2つあると思います。まず、視覚系が動画を処理するときに脳を酷使するということ。動いているモノを見て処理するのは大変なのです。データ量も多いし、高速処理も必要になります。

もう一つの問題は、動画は処理スピードが強制するということです。動画の再生速度でしか情報を受け取ることができないのです。本なら自分の好きなスピードで読むことができます。キツい時にちょっと休むことができる、これは本を使った勉強と映像授業による勉強との決定的な差になります。

(つづく)


独学の教室
インターナショナル新書
ISBN: 978-4797681079