Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

新装版 日本人を考える 司馬遼太郎対談集 (7)

今日は「新装版 日本人を考える 司馬遼太郎対談集」から。この本の紹介は今回で最後です。

まず、山口瞳さんとの対談を紹介する。 タイトルは「東京・大阪〝われらは異人種〟」。 この対談は1971年に行われた。

〝哲学の小径〟は田舎から京都大学に入った学生がつけて言いつたえたんじゃないでしょうか。
(p.302、司馬)

今は「哲学の道」と呼ばれている。若い頃は正月に八坂神社にお参りに行った後に哲学の道をぶらついたりしたものだが、そんなにスゴい道なのかというと、まあ普通じゃなかったと思う。もう10年以上行ってないから、最近は変わっているのかもしれない。哲学の小径という名前は地元の人達が付けたという説がある。

大阪にはむかしの日雇人夫や、学生たちに、きつねうどんでご飯を食べるというやり方があるんです。
(p.305、司馬)

基本技だ。ちなみに、カップ焼きそばをおかずにご飯という技は高橋みなみさんがラジオで紹介していた。

昔はよく、はなまるうどんで「かけ小」と「鮭おにぎり」を注文して、かけうどんを食べた後に鮭おにぎりを入れて、だし茶漬けのようにして食べていた。かけ小は130円だったと思う。おにぎりを足しても250円程度だった。今はかけ小は270円するから、予算オーバーになってしまう。「働く魔王さま!」にも、かけうどんが安い的なシーンが出てくるが、今の値段では話が通じない。

江戸っ子は宵越しの金は持たないという件。

大工の下働きはその日勘定ですから、その日に使ってしまっても翌日仕事場にゆけばまたくれる。金を貯めているやつは仕事をしなくなるか、いい仕事をしようと思わなくなる。そんな事情から出たものだと思うんですが、
(p.319、司馬)

必要なものを買ったら何も残らない、という説もあるらしい。

対談をもう一つ。お相手は今西綿司さん。タイトルは「人類を救うのはアフリカ人」。救うなんてショボいことを言わず、世界制覇して欲しいと個人的には思っている。

山歩きで鍛えたカンは、社会生活にも、学問研究のうえにも、活かすことができるかもしれない。
(p.330-331、今西)

カンを鍛えるような教育は、今の日本ではしていないような気がする。昔はやってたのかというと、どうなんだろ、武道とか。気配や殺気を感じる系の謎の鍛錬とか。根性を鍛えるというレッスンもない。こういうのが人生で最も重要なスキルのような気がするが、誰も教えてくれない。


新装版 日本人を考える 司馬遼太郎対談集
司馬 遼太郎 著
文春文庫
ISBN: 978-4167901257