今日は「わが家は祇園の拝み屋さん」の3巻です。
ストーリーとしては祖母で拝み屋の吉乃さんの若い頃の恋バナとか。謎の祓い屋も登場します。
小春と前回友達になった愛衣ちゃんが滝行に行く話が出てきますが、
人間は滝になんて打たれんでも、この社会に生きているだけで、十分な修行や。
(p.85)
毎日が修行というのは分かります。この世は誘惑とか多いし。バグも多いです。
ところで、今回は床を綺麗にしておけば運気が上がるという話題が出てきます。空気の流れを良くすることで運も良くなるとか。毎日やるのは大変だという小春に、
とりあえず三日続けたらええよ。
(p.135)
習慣化するには3週間続けるといいといいますね。まず3日というのは三日坊主という表現もありますし、最初の壁なのでしょう。私の場合、1日でアウトということもよくあるのですが。このブログのように習慣化してしまい書かないと落ち着かない、というのも案外困ります。
さて、床は綺麗にしておかないといけない、と主張する澪人に対して、宗次朗はそんなことをしなくても運気がいいと反論します。ああいえばこう言う(笑)。これに対して、
そういう時は、決して否定せずに、『そうですね、あなたはそうやと思います。そやけど、この話はそんなあなたにも何かがあった時に、役立つかもしれへんから、心の片隅に留めておいてくださいね』と言うてあげてください
(p.136)
みたいな対応法を小春に伝授します。否定しないというのは結構重要ですね。こういう間接的な対応はイケズかもしれませんが。
そしてこの話題、最後の方になると澪人が考え方を変えるのが面白いです。
それがたとえ『良いこと』だとしても、何かに囚われてがんじがらめになるのは違てると。大事なんは、『自分の心が、いかに快適でいられるかということ』。まずは心を優先にすること、それが一番やと
(p.242)
「違てる」は「ちごてる」で、京都弁です。ま、床は綺麗でなくてもいいという結論でもないのですが。