私のブログの文章も冗談抜きでヒドいものだという事実は揺るぎないだろうが、今日読んだのは中村明さんの「悪文」。
これは有名な本だから、読んだ人も多いのではないかと勝手に思っているのだが、私はあまり本気で読んでなかった。軽く読んだ程度でざっくりまとめると、こういう文を書いたらダメだよ、というポイントを指摘している本だ。
例えば、「読み手の配慮」というところで、どうすれば読み手の配慮ができるのか具体的に出てくる。
書いた文章を他人に読んでもらう
(p.077)
なるほど、それは確実だ。しかし、誰も読んでくれないときはどうか。
書き手であることを一度忘れて、他人になったつもりで読む
(p.078)
そう簡単に言われても…、という気がしないでもないが、説得力は多大にある。他の章も理由が論理的で説得力があり内容がとても濃い。例えば「文末形式の単調さ」のところで「吾輩は猫である」の冒頭が引用されているのだが、
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生まれたか、頓と見当がつかぬ。
(p.178)
に対して、
なぜ「見当がつかない」とせず「つかぬ」としたのだろうか。
(p.178)
という疑問を提示し、文末に変化を付けたかったのではという予想を提示する。成程そうなのか、何か騙されているような気がしないでもないが、そうかもしれないという感情は避けられない。
ちなみに私の場合、一番時間を食うのは漢字を使うか、平仮名で行くか、カタカタにしてみるか、の選択かもしれない。
最後の「悪文の変身」の推敲の例は、あまりに凄すぎて、こりゃ無理だわ、みたいな自己嫌悪に陥りそうな気がした。