今日は重松清さんの「卒業ホームラン」。6つの短編が入っている、自選短編集です。先日紹介した「まゆみのマーチ」の男子版です。
1話目の「エビスくん」。なかなかキツい話です。いじめネタはいつでもキツいものですが、さらに難病が入って来るので大変です。
父はゆうこの治療費を稼ぐために、郵便局を辞めて夜勤手当や危険手当の貰える造船所に転職した。
(pp.17-18)
郵便局でも残業ができそうなものだけど、今は残業規制でできないんですかね。お金がないと困るのに残業できないから転職しないといけない…なんてのは、何か社会が間違っていると思います。
ひろしは転校生のエビスくんに超絶いじめられるのですが、
弱い男の子は強い男の子が好きなんや、それくらいわからんのかアホ
(p.102)
それはそれで分からなくもないのですが、本当にエビスくんは強いのか、というのがどうもひっかかりますね。
2話目は本のタイトルにもなっている「卒業ホームラン」です。父親の立場から書かれています。中二の典子という娘がいますが、
なにごとに対してもやる気をなくしてしまった。担任の教師によると、授業中もぼんやりと窓の外を見ているだけで、ひどいときには教科書を開こうとすらしない
(p.116)
ぼんやり外を見るというのは、中学生のときにはありましたね、私の場合。
努力すれば、必ず報われる?
わが子にそう言い切れる父親がいたら、会わせてほしい。
(p.118)
じゃあ会いに来なさい。
きっと、とんでもなくずうずうしい男か、笑ってしまうぐらい世間しらずなのかのどちらかだろう。
(p.118)
このような場合は「あるいは、その両方だ」で閉めるのがお約束だと思いますが、この話に出てくる父親は、かなり狭い考えしかできない人間として描かれています。だからこんな子供が育つんですよね。って話ということでいいのかな。
勉強すればぜったいにいい学校に入れる? いい学校に行けば絶対に将来幸せになれる? そんなことないじゃない。
(p.125)
当たり前ですね。幸せかどうかは、本人がどう思うかで100%決まります。勉強も学校も関係ありません。
私がよく例に出すのが人魚姫です。最後に人魚は泡になってしまいます。それは幸せなのかどうか。あるいは、フランダースの犬でネロ少年は最後に月明りに照らされたルーベンスの絵を見て「もう何もいらない」と言って死にます。それは幸せなのか、不幸なのか。
3話目は「さかあがりの神様」。私はさかあがりをサクっとクリアしてしまった派なので、いまいちその大変さが分からないのですが、
でも、できなかったものができるようになるのって、気持ちいいだろ
(p.177)
まあ確かにそうです。しかし、できないままだとどうなんでしょうか。
4話目の「フイッチのイッチ」。性格の不一致による離婚話があって、その子供の転校生がハブられる話なんですが、
当の山野朋美は、そんなことぜんぜん気にしていない。最初からクラスの女子のだれとも話そうとしてないし、だれのほうも見てないんだから、まったく無意味だ。山野朋美がハブラれているのか、逆にあいつが一人でみんなのハブってるのか、よく分からない。
(p.203)
それでいえば、私もハブるというのがどうも分かっていないようです。
残りの2作品、「サマーキャンプへようこそ」は、この親で大丈夫かと物凄い不安の残る話。「また次の春へ」に出てくるモヤシ入りの豚汁は、いつか作ってみたくなる料理です。
卒業ホームラン: 自選短編集・男子編
新潮文庫
重松 清 著
ISBN: 978-4101349282