Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

まゆみのマーチ: 自選短編集・女子編

今日は「まゆみのマーチ」。重松清さんの自選短編集。女子編となっています。

タイトルになっている「まゆみのマーチ」は、歌いながらでないと行動できない女の子の話です。最初に読んだ時にはホラーのような感覚がありました。どんな歌を歌っているかというと、

天地真理南沙織、にしきのあきら、麻丘めぐみ森昌子
(p.24)

何となく世代的な親近感があります。ただ、異論覚悟でハッキリ書かせてもらいますが、この話、親の育て方がひどいと思うんですよね。そういう育て方をするのなら外に出さずに自宅内ですべて済ませる覚悟がないといけない。この状態で学校に行かせたらそうなるのは当たり前で、むしろその程度で済むというのに違和感がありました。

2作目の「ワニとハブとひょうたん池で」は、ハブられる話ですが、これもハッキリ書いてしまうと、いじめというのはいじめられる側に原因がある、というのが分かる話だというのが率直な感想です。私の世代だと、この状態になると女の子であれ、相手をブチ殺すつもりで反撃していたと思うのです。実際、そういうシーンを見たこともあります。言っても分からない奴に理屈ではなく暴力で抵抗するのは、今だと悪いことなんでしょうね。

じゃあどうすればいいかというのは、この話は何も教えてくれません。昔の親は子供に、何か障害物があったときにどうやって戦って乗り越えていくかを教えようとした。今は親も日本そのものも、障害物をできるだけ排除して、子供を障害物に合わせないようにしている。解決する力がどんどん衰退していく。にもかかわらず、子供は子供でどんどん新しい障害物を発明していきます。しかしそれを乗り越える力はない。

「そういうんじゃないんですよ、最近のイジメって」評論家みたいに言える。「ゲームなんです。誰かが困ったり落ち込んだりするのを見て、笑って、もっと困らせたり落ち込ませたりする、そういう遊びなんですよ。
(p.140)

ちなみに私の場合、どちらかというと自分から単独行動する派なので、ハブられたという経験がないというか、ハブられていても気付かなかったのかもしれません。一日中図書館で本を読んでいたら幸せになれるとか、そういうタイプです。ていうか、普通に友達はいましたけどね。多分「火の鳥」のマサトみたいに地球上に1人だけ生き残っても割と平気だと思います。誰も読まないブログを書き続けているかもしれません。それはそれで病気じゃないかと言われたら、そうかもしれませんが。

カーネーション」では、

母親はテレビばかり観る。テレビしか観ない。テレビだけが心の友って? 泣けちゃうほど寂しい人生だ。
(p.229)

先に書いたように、自分が孤独派であるからなのか、どこが寂しいのか、本気で理解できません。もちろん本人が寂しいというのならそうかなと思いますが、テレビばかり観ている母親は寂しいと思っているのでしょうか。

この話では、白いカーネーションではなく、赤いバラの花束を食卓に置くシーンが出てきます。

花束の隣には〈ははの日おめでとう〉と書かれたカードも。
(p.239)

これはなかなかよかったです。


まゆみのマーチ: 自選短編集・女子編
重松 清 著
新潮文庫
ISBN: 978-4101349299