今日はカポーティさんの名作「ティファニーで朝食を」。これは随分昔に読んだのですが、完全にストーリーを忘れていて、久しぶりに読み直しました。ギターを弾いているというところだけ覚えていますが、映画も見た記憶がありません。同じ文庫本に収録されている「わが家は花ざかり」は覚えていたのですが。
主人公は小説家。同じアパートの下の階に住んでいるホリー・ゴライトリーがヒロイン。ハチャメチャな性格です。「私」が酷い部屋に住んでいるというのでホリーは非難するのですが、
「そりゃ、人間てやつはどんなものにも慣れてくるものさ」
(p.28)
と反論すると、ホリーは
「あたしはちがう、どんなものにも慣れるってことないの。そんな人間がいたら、死んだほうがましなくらいよ」
(p.28)
てな感じです。大抵の人間はどんなものにも慣れるように作り込まれているはずなのですが、このホリーの奇妙な性格は育ちにあるようです。
ホリーは毎週木曜日にシング・シング刑務所に出かけているのですが、
あたしのいちばん好きなのは、この人たちがおたがいに会って、とても幸福そうなことなの。
(p.35)
刑務所にいるのに幸福というのは不思議な感じがしますが、ある意味真理かもしれません。幸福は相対的なものなので、不幸な人ほど幸福に出会える機会は多くなるのでしょう。
こんな会話も面白い。
「いつもと別に変りはないよ。きみがどうかしてるってことさ」
「そんなことフレッドはもう知っててよ」
「しかし、きみ自身は知らんぜ」
(p.47)
O.J.バーマンとホリーとポールの会話。噛み合ってるのかズレてるのか分かりませんね。バーマンというのはハリウッドの俳優代理人です。ホリーはスターになりたいのかというと、それがそうでもありません。
映画スターになることと、大きな自我を持つことは並行するみたいに思われているけど、事実は、自我などすっかり捨ててしまわないことには、スターになどなれっこないのよ。
(p.53)
それが嫌だというのですが、
ティファニーで朝食を食べるようになっても、あたし自身というものは失いたくないのね。
(p.53)
その失いたくない自我というのが、あまりにも独特なものなので、読んでいて面食らうのです。ストーリーの最後には逮捕されてしまうのですが、うまいことやってレバノン、じゃなくてリオに逃亡してしまいます。何が本当で何が嘘か分からない、ていうか全部嘘みたいな変な話なのです。
最後にちょっと教訓的な一言を紹介して、今年を〆ておきましょう。
ダイヤなんて、ほんとうに年をとった人がつけないと、ぴったりしないものよ。
(p.54)
ティファニーで朝食を
カポーティ 著
龍口 直太郎 翻訳
新潮文庫
ISBN: 978-4102095010