Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

藤原道長の日常生活

御堂関白記」という日記があります。藤原道長の日記とされ、現存する世界最古の直筆日記とされています。中国とかエジプトのような古代国家も日記を書いた人がいそうなものですが、直筆でしかも残っているというのは珍しいのでしょう。しかも、この日記も廃棄しろという指示があったようです。誰かが指示を無視してモッタイナイと思って捨てずに取っておいたのでしょう。

この保谷は、この日記に書かれた記述を元に、当時の生活がどうであったかを紹介する本です。

道長は翌寛弘四年、金峯山詣を決行する。これが功を奏したのか、この年の十二月頃、彰子はついに懐妊した。
(p.14)

高野山と金峯山は道長が詣でたのが先例となって、この後の権力者も続々と詣でるようになっています。彰子は道長の長女で、一条天皇に入内させているので、子は天皇となるわけです。権力を握る鍵になるわけですね。

当時の政治がどういうものだったかというと、先例主義というのが有名です。

当時は儀式を先例通りに執りおこなうことが最大の政治の眼目とされていたし、政務の内でもっとも重要とされた陣定(近衛陣座でおこなわれた公卿会議)は審議機関ではなく、議決権や決定権を持たなかった。
(p.47)

改革ではなく伝統を守ることが優先されたわけです。ただ、その伝統というのがよく分からないことが多くて、先例がどうなのか分からなくてアタフタ、のようなことがよくあったようです。誰かが前回のやり方をメモっていたら、それが前例として採用されていたとか。

当時の政治は意外と激務だったらしく、しかも、

栄養の偏り、大酒、運動不足、睡眠不足など不健康な生活を送っていた平安貴族は、病気に罹ることも多かった。
(p.245)

道長は糖尿病になった気配があるそうです。

道長の弁によると、「三月から頻りに水を飲む。特に最近は昼夜、多く飲む。口が乾いて力が無い。但し食事は通例から減らない」ということであった(『小右記』)。
(p.249)

貴族は美食だったのですかね。ダイエットという概念はなかったでしょう。ライザップもないし。病気になったら薬はあったのですが、例えば紅雪という万能薬があったようです。

紅雪は、芒硝(含水硫酸マグネシウム)に羚羊角屑・黄芩・升麻・芍薬・檳榔・枳殻・甘草などの草木や朱砂・麝香を加えたもの。一切の丹石による発熱、脚気、風毒、顔や目のむくみ、熱風、消化不良、嘔吐、胸腹部の脹満などに効能を持つとされ(『医心方』)、万能薬として使用された薬であった。
(p.254)

さぞかし高かったことでしょう。漢字を入力するのが大変でした(笑)。


藤原道長の日常生活
倉本 一宏 著
講談社現代新書
ISBN: 978-4062881968