Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

秋月記

今日の本は秋月記(あきづきき)。福岡藩支藩である秋月藩という小さな藩の話。なかなか重厚な小説で、昨日紹介したのが娯楽系の時代小説とすれば、こちらは本格派。じっくり読んだ上で数回読み返したくなる。体感的には、読んでいて、同じ文字数でも3倍時間がかかる感じがした。

物語は老いた主人公の間小四郎(余楽斎)が失脚するシーンから始まる。そして子供の頃の話から失脚するまでの長い話が始まるわけだ。子供の頃の小四郎は臆病者で、犬に襲われたときに妹を置いて逃げてしまい、妹がそれが元で死んでしまったと思い込んでいる。実際はいろんな不幸が重なって亡くなっているのだが。

弱虫では武士として生きていけないので道場に通い始めると、そこではいわゆるいじめのようなことも体験する。ただ、道場の師範である藤田伝助は、そこに見どころがあるという。

臆病者だとあきらめてしまえ。怖いがゆえに夢中で剣を振るうのだ。
(p.25)

柔術の達人、藤蔵にはこんなことを言われる。

「おのれが弱いことを知っておる者はいつか強くなれる。お主がわしより臆病ならわしより強くなるだろう」
(p.53)

弱さを知っていればこそ強くなれるというのは深い。確かに、強いと思っている人ほどうっかり無茶をしてあっけなく敗れてしまうことはある。弱い人ほど、危ないと思ったら逃げるから、敗れることはない。それはある意味強いということかもしれない。

秋月藩は小藩で、とにかく金がない。そこにつけ込んで、何とかして乗っ取ってやろうと福岡藩があの手この手をまわしてくる。それを何とかギリギリの所でクリアしていく様子が凄い。クリアすると次の敵が現われる。やっと全部片づけたと思うと、

目の前の敵がいなくなれば、味方の中に敵ができる。
(p.297)

共通の敵がいなくなると、昨日の友は今日の敵、というわけだ。くわばらくわばら。

それにしても、とにかく金がない。借金しまくっている。大坂商人からも借りていて、どうも簡単に返せそうにないから、しばらく待ってくれと交渉しに行く。これも重い役目を任ぜられたというよりは、失敗させて失脚させるのが目的のような気がしてくる。後半で出てくる大坂の芸妓、七與の言葉が凄い。

金というものは、雨のように天から降りまへん。泥の中に落ちてるもんだす。手を汚さんでとることはできまへん。
(p.310)

この七與、小四郎は他の商人に、蝮に気を付けろと警告を受けていた。その蝮である。毒がハンパなくて、最後はそれが原因で大変なことになるが、ところが小四郎はそれに動じない。いつの間にか禅の極意まで身に付けたのかは、この小説からは分からないが、こんな小話も出てくる。

「ひとは美しい風景を見ると心が落ち着く。なぜなのかわかるか」
(p.342)

これは難問だが、但しこの後に答が書いてある。個人的にはちょっと違和感が残るが、まあそれはどうでもいいことだろう。

このストーリーで、小四郎は出世するが、出世するというのは重い責任を背負うということ。小四郎の父は昔、郡奉行という役に就いていた。小四郎が同じく郡奉行に任じられた時、それを思い出して父にアドバイスを求める。すると、領内を観察することが大事だという。

「そなたにはまだわからぬかもしれぬが、ひとにとって、存外に大事なことなのだ」
(p.212)

観察といっても、探偵が捜査するようなものではなくて、

「野の風に吹かれ、河の水に手をひたし、山野の風物を愛で、作物の実りを楽しむことができる」
(p.212)

それが大事だというのだ。これは案外、今の世でも言えるようなことのように思える。何気ないところを観察していると、猛烈に重要なことが見えてくることがあるのだ。こういう所が何か悟りの境地に至るヒントなのだろうか。

悟りといえば、中盤まで悪役として出てくる宮崎織部が圧巻である。物語中盤で失脚して流刑になってしまうが、最後まで読み終えたところで、小四郎と織部が重ね合って見えてくる。奥のある構成なのだ。

最後に、長崎の石工が秋月で作った石橋が崩落してしまうシーンで石工が語る言葉を紹介したい。

「長崎では一度も橋が崩れるなどということはありませんでした。それだけに皆自信がありすぎたのです。ちょっとした手抜きぐらいで崩れることはないだろうと思ってしまいました」
(p.133-134)

自信がありすぎる、というのが面白い。石橋を叩いて渡るという言葉はあるが。


秋月記
葉室 麟 著
角川文庫
ISBN: 978-4041000670