Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

若人よ蘇れ・黒蜥蜴 他一篇 (3)

今日は「若人よ蘇れ・黒蜥蜴」に掲載されている残りの一篇、「喜びの琴」を紹介します。

この戯曲がどんな作品かを三島由紀夫さん自身が述べた言葉が、巻末の解説に紹介されています。

思想の絶対化を唯一のよりどころに生きてきた青年は、すべての思想が相対化される地点の孤独に耐えるために、ただ幻影の琴の音にすがりつくという話である
(p.403)

わけがわかりません。

何か微妙に馬鹿にされているような気がしてきます。いやマジで。解説もどちらかというと踊らされているのか、あるいはあえて期待通りに踊って解説などを読む暇人に挑戦しているのかもしれません。

この話は警察署の中でドタバタが繰り広げられるというシナリオです。列車転覆のような派手なイベントもありますが、結局、根底に流れているのは人間不信です。人間を信じてはいけない、そういう話です。ヨルムンガンドのキャスパー・ヘクマティアルも人間を信じるなと言っていますが、基本、人間を信じてはいけません。当たり前です。こんなにランダムな行動をする生物は滅多にいないのです。

俺は党の組織も信じちゃいない。人間も信じちゃいない。信じるのは、もやもやとした、破壊への、あくなき破壊への俺の欲望だけだ。
(p.359)

巡査部長の松村のセリフです。松村の訳の分からない主義主張に圧倒された片桐巡査は、たいそう混乱してしまいます。それを見た瀬戸巡査が、

もうよせ、よせ。考えるな。お前がものを考えるなんておかしいぞ。
(p.369)

酷い言い様ですが、確かに警察が考えずに行動するような時代は、過去にもあったでしょうね。当の本人は考えていると勘違いしていたかもしれませんが。

しかし、それでも当時の青年達はよく考え、よく議論したのです。大学はそのための恰好の場所でした。今の大学は教室でスマホをするための場所だという説もあるようです。わざわざ教室でスマホするのは、出席していないと単位がもらえないからです。

この話の時代は学生運動の盛んだった頃。もちろんスマホはありません。今の大学生から見たら異次元のような社会だったのではないかと思われます。別世界ではなく異次元です。

われわれの親は貧乏で、心を入れかえて勉強しようにも、大学に進めなかったんですからね。
(p.288)

今の若者は遊ぶために大学に行きます。あるいは学歴フィルターをクリアするために行きます。どうやら心を入れかえなくても大学に進める時代になりました。それが昔のような過激な集団を抑制しているのだとしたら、世の中はどこまでも皮肉なものです。

 

若人よ蘇れ・黒蜥蜴 他一篇
三島 由紀夫 著
岩波文庫
ISBN: 978-4003121924