今日は電車でちょっと移動があったので、読んでいた本が、鈴木大拙さんの「一禅者の思索」です。
初版が昭和十八年、ということで出てくるハイテク的な話題がどれもレトロな感じなのが面白いです。
今日読んだところで面白かったのは、靴を作る人の話。一人で靴を作れば全体像が分かりますが、工業化して、パーツで製造すると、その部分しか分からない。カカト専門だと靴のことが分からない。そういうのは創意がないのでダメだというのですが、
「お前はカカトになって暮せ」と言われても、自分の心の中にそれに応じて「よろしい」というものがあって、それで働くのならよろしい。自ら進んでカカト三昧の境地に入り浸って働くのなら大いによろしい。
(p.114)
カカトはダメというのも面白いですが、三昧なら構わないといううのが何か深い感じがします。何か騙されているような気がしないでもないですが。