Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

薄桜記

今日は五味康祐さんの薄桜記。剣豪小説。主役は丹下典膳と中田安兵衛(その後、婿養子になって堀部安兵衛)のダブルキャスト。時代は忠臣蔵赤穂浪士が討ち入ったところまで描かれている。途中に出てくる紀文(紀伊国屋文左衛門)や小林和尚(柳生連也斎)がゲスト。典膳の美女の妻、千春は離別されて元妻になってからストーカー役というところか。

そもそも離別の理由は千春の浮気なのだが、それが原因で典膳は片腕切られるし最後は余計なことをされて命まで落としてしまうから女というのは恐ろしい、という話でいいのかな概略は。無敵の剣士も女には勝てなかった的な。

丹下典膳は片腕切られた後も無敵の最強剣士である。最後の方のシーンで、勘平が典膳に出くわす。

丹下典膳であることは勘平にも一目で分った。こちらも何気ない態度を見せようとしたが、射すくめられて足が前へ出ない。
(p.647)

出合った相手はガクブルで勝負にならない。バトルシーンもだいたい一瞬で相手が切られて死ぬ。

鈴田重八が突きを入れ、毛利は脇から抜き打ちを懸けた。典膳の袖が腕のない肩口で裂けた。鈴田、毛利の両人は水もたまらず「あっ」と叫んで仰反った。倒れてから両人はぷうーっと背すじより血を奔いた。
(p.662)

相手は片手なのに、突いたり抜き打ちを懸けた方が死んでいて、その時どんな斬られ方をしたのか微塵も分からない。ベクトル変換でも使っているとしか思えない。

安兵衛もかなりの剣士だか典膳にはまるで及ばない。この二人が並んで歩くシーンがある。

二人の足取りは寸分違わず打揃っている。意識してそうするのではない。この呼吸の一致は、先に乱した方が負けなのである。
(p.228)

何と戦っているのか分からない位ハイレベルな戦いなのだ。

ゲストと書いたけど、紀文は商いの天才で、中盤に結構登場する。何をしているのか周囲の人達が理解できないという設定が面白い。朱印船という話が出てくるから、何か企んでいるような気配はあるのだが、このストーリーの中ではそちらのシナリオは未完紀文だけに。ということで、よく分からない。

或る行為が、かなりの時間を経て、はじめてその行為の意図を他人に納得させる人間がいる。紀文がそうで、何を考え、何を目的にしているのか当座はさっぱり分からない、年月を経てから、さてはそうだったかと合点のゆくような、そういう紀文は男だと静庵は言うのである。
(p.292)

静庵は深川のご隠居。人を見る眼はあるというが、何か自己矛盾しているような気がしないでもないが、紀文をえらい持ち上げてくる。

この物語、後半は赤穂浪士の討ち入りの細かい話になっていく。史実としての記録を紹介しつつの冷静な分析はなるほどと思わせる。

これによれば、上野介は立派に抗戦したことになる。
(p.477)

28箇所の傷があったという。恨みありとはいえ、仮にも武士が無抵抗の相手をそんなに斬りつけないだろう、という根拠。上野介が臆病だというのなら、

そんな臆病者(しかも年寄りだ)を二十八カ所目にようやく仕止める義士たちの腕前は余っ程にぶかったわけになろう。
(p.479)

と、批判は痛烈だ。総評的に、

本当に一番偉かったのは切腹の仕様も知らぬ面々を忠臣に仕立てて、賛美を惜しまず育みつづけてきた日本人一般の気質そのものだったと言える。
(p.481)

としている点は鋭い。伝説が伝説として残るためには結局、ウケるかどうかということ、それも結構重要なことなのである。


薄桜記
五味 康祐 著
新潮文庫
ISBN: 978-4101151052