Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

私の生い立ち

与謝野晶子さんの子供時代の話を集めた本です。イラストは竹久夢二さんです。

与謝野晶子さんについては、今更説明の必要はないと思いますが、子供時代は大阪の堺に住んでいたそうです。

与謝野晶子は明治十一(一八七八)年十二月七日、堺県堺区(現・大阪府堺市堺区)甲斐町に生まれた。
(p.247)

集録されている内容については、解説の今野寿美さんが、次のように書いています。

本書『私の生い立ち』は、与謝野晶子が大正四年から五年にかけて少女雑誌「新少女」に連載した「私の生ひ立ち」ならびに「私の見た少女」を、初出誌に基づいて全篇集録したものである。
(p.250)

その頃の学校の生活や、堺の様子が書き綴られているわけです。

学校生活といえば、今でも定番なのですが、よく出てくるのがいじめの話。

私はこの時分ほど同級生にいじめられたことはありません。
(pp.11-12)

最近はいじめは教育委員会や警察が出てくる大事件ですが、今のいじめと質が違うという話もありますが、いじめ自体は昔からあって、言い方が変かもしれませんが、通過儀礼のような性質を持つものでした。この本には、いじめられている人達だけでなく、与謝野晶子さん自身がいじめられているところの描写もいくつも出てきます。与謝野晶子さんがこのいじめに耐えていた理由としては、姉が苦労しているのを見て育ったせいで、

私も苦しいことを辛抱し通すのが人間の役目であると云うように思っていたらしいのです。
(p.14)

このように述べています。脅迫されてお菓子を巻き上げられる話も出てきます。脅してお菓子を巻き上げているところを見つけた人が、また便乗して脅し取ろうとします。

あんたあんな人にお菓子なんぞ取られてないで私におくなはれ。そやないと先生に云う
(p.88)

二人から取られるようになって最終的には限界が来て修羅場…という程ではなさそうですが、結局我慢できず、抵抗します。

私にはもうそれを云い出すだけの勇気が出来ていたのです。
(p.89)

その強さを持てたのが「いじめ」をクリアした報酬なのでしょう。このカツアゲのきっかけは些細な言いがかりなのですが、堺女学校の話では、与謝野晶子さんの友達の楠さんという女学生が出てきます。

私のいました堺女学校と云いますのは小学校の四年級から直ぐに入れる程度の学校でしたが本科と裁縫科の二つに分けられていました。
(p.169)

この本科と裁縫科との間にはギャップがあったようです。与謝野晶子さんは本科の生徒で、楠さんは裁縫科の生徒でした。裁縫科の人達に遠山先生が言うことが、

「あなた方は裁縫を重に習ってお家の手助けを早く出来るようになるのを楽みにしておいでになるのでしょうが、私は少しあなた方に考えて頂きたいことがあるのです。女は裁縫をさえ上手にすれば好いと思うのは昔風な考で、世界にはいろいろな国があって智慧の進んだ人の多いこと、日本もそれに負けていてはならないと云うことを思うことの出来る人なら、智慧を磨くための学問の必要はないなどとは思えない筈だと思います。」
(p.171)

今の日本の生徒にこれだけ多重否定が入った話をされたら理解できないような気もします。そこで特に勉強に力を入れた裁縫科の生徒が二人いて、そのうち一人が楠さんでした。

楠さんはその次の学期試験に一番になりました。
(p.172)

その結果、

楠さんは気の毒なように憎まれました。
(p.172)

こういうところは今も変わらないような気がします。人間の基本的な行動パターンなどというものは、そう簡単には変わらないのでしょう。

大阪の風景描写も興味深いです。

河内の生駒山金剛山の麓まで眺める目はものに遮られません。南は国境の葛城山脈になっています。近い所には大仙陵が青色の一かたまりになっています。後ろを向いて街の方を見ますと、ずっと北の方に浅香山の丘が見え、妙国寺の塔が見え、中央に開口神社の塔が見えます。
(p.s106)

私は大阪育ちなので、このような風景は目に浮かびます。私が子供の頃は一時期、生駒山に少し近いところに住んでいたので、山火事があったりすると飽きずに見ていたりしたものです。

先の表現では淡々と大阪の風景を描かれていますが、堺の市街を描いたところでは、

赤煉瓦塀の上に地獄のような硝子かけを立てた厭な所です。
(p.109)

こんな酷い表現が出てきます。なぜ厭なのかというのは、続く文に書いてあります。

夕方と朝に髪へ綿くずを附けた哀れな工女が街々から通って行く所は其処なのです。
(p.109)

今でいうブラック企業なんですね。過酷さは今のブラックどころではなかったのでしょう。哀れという表現にはドキッとします。

ところで、この本には西瓜燈籠という私の知らないモノが出てくるのですが、ググってみると、西瓜をくりぬいて燈籠にして、中に蝋燭をともしたもののようです。これは今のテクノロジーで作ったら面白いものが出来そうな気がしますね。ただ、与謝野晶子さんはそれを見て、

私は生まれて初めて老と云うことと死と云うことをその夜の涼台で考えました。
(p.42)

西瓜で作るので、しぼんでくるそうのです。そこに生死というイベントを重ねるところに与謝野晶子さんの繊細な感性があるのでしょう。


私の生い立ち
与謝野 晶子 著
竹久夢二 イラスト
岩波文庫
ISBN: 978-4003103838