Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

戦中派不戦日記 (十月四日~)

「戦中派不戦日記」の続き。戦争が終わって兵隊さんが帰ってきた。もちろん帰ってこない人も大勢いたのであるが、

先日メレコンより帰りし帰還第一陣の将兵三十キロの体重なりきと、同島にては一日に百五十人ずつの将兵餓死せりという。戦慄すべし。
(十月四日)

腹が減っては戦はできぬというが、そのような段階を超越している。よく帰還中に餓死しなかったものだ。

本土でも食料不足は危機的な状況だったようだが、どこの世でもどの時代でも同じで、不足といいつつしこたま溜め込んでいる人もいたようだ。これはそこまで極端ではなさそうだが、

東京新聞に「餓死線上に彷徨する都民」という見出しで、冠水芋を買出部隊に掘り出させ、しかもそれを一貫十五円二十円に売りつけて、先日の大雨による水害を転じて一億円の闇利益をむさぼった東京近郊の強欲な農民を国民法廷にかけろと絶叫しているが、見たところ「彷徨している」何千人かの都民は別に餓死線上にいるようには見えない。赤い肥った顔ばかりである。
(十月十八日)

昔、TVで生活保護の特集を放送したきとに、出てきた生活保護者らしき人がメタボっぽい体型だったのを思い出す。いつの時代も本当に困っている人は声すら出せないものだ。そういう人達はどうなったか。

この駅では今、住むところのない老人や少年たちが、多いときは五、六人、少ない日でも二、三人は毎日餓死してゆくそうである。
(十月二十三日)

こうなるのである。

山田さんの戦争感に関して、次のような日記がある。

戦争のない世界、軍隊のない国家――それは理想的なものだ。そういう論にわれわれが憧憬するのは、ほんとうは尊いことなのであろう。しかしわれわれは、そういう理想を抱くにはあまりにも苛烈な世界の中に生きて来た。軍備なくして興隆を極めた国家が史上のどこにあったか。
(十月十九日)

ごく最近だと米朝会談。理屈で納得しない相手に、武力で交渉する以外にどうすればいいのか。北朝鮮はそれに一つの解答を与えた。どうしようもない。軍事力を持つしかないという Answer だ。核兵器を持つことによって対等な交渉が可能になる。日本は軍事力がないために蚊帳の外。本当に外かというところには違和感があるが。とりあえず、米朝が仲良くなったので共同して日本を攻めてくるのかというと、それもあり得なさそうだし、世界情勢は何をどうしていいのか分からない状況になっている。

先の大戦に対する山田さんの感覚。

ただし僕個人としては、アジアを占領したら諸民族を日本の奴隷化するなどという意識はなかった。解放を純粋に信じていた。
(十一月五日)

日韓併合という言葉がある。当時の列強による植民地化は、軍事力によって資源・人間をまるごと強奪・略奪するというものである。日本のスキームはそれとは違う。資源を奪い、奴隷化するのではなく、現地に統治させた上で税を取るのである。税を多く取るためには現地の産業を発展させる必要がある。だからインフラを整備した。それは欧米が行ったような物理的な奴隷化ではなく、経済的奴隷化とでもいうべきだろうか。山田さんのイメージはそのあたりの発想に近いものがあるような気がする。

先日アメリカ人記者が報道していた、「靖国神社明治神宮などに参詣する日本人はいなくなった。この神道の潰滅こそ日本人の天皇観の革命的変化の先駆となるものである」果たしてそうなるか。
(十一月十四日)

そうならなかった。神道は健在だし、八百万の神も多分実在している。靖国神社は今ももちろん花見の名所である。桜と散った戦友たちが祀られている横で酒を飲むのだ。明治神宮は最近はなぜか外国人の参拝者が多くなった。

電車の混雑が尋常でないことの描写は、山田さんの日記にはよく出てくる話なのだが、

地下鉄、ガラス破れ、言語に絶する超満員、身体は宙に浮きあがり、足は踏んづけられ、子供は泣き、女は金切声をあげ、男は怒声を飛ばす。
(十一月十七日)

流石に演出が入っていそうな気もするが、「東へ西へ」どころの騒ぎではなかったようである。

(つづく)


戦中派不戦日記
山田 風太郎 著
角川文庫
ISBN: 978-4041356586