Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

県立! 再チャレンジ高校

生徒は問題児ばかりという槙尾高校の話。この高校名は架空だが、実在の高校を取材して書かれた、ほぼノンフィクションの作品である。この本、出てくる生徒も凄いのだが、教える先生も凄い。

例えば、小説に出てくる原田先生の少年期の様子。

農繁期には学校を休んでまで農作業をしなければならなかった
(p.55)

君たちはどう生きるか」の時代ではない。せいぜい30年、40年前の話だろうと思うのだが、今の貧困世帯が「お金がないからほにゃららを買ってあげらない」といったレベルなのと比較すると次元が違う。そのように育った先生も熱血だが、生徒がこれまた凄まじい。

「あいつは家で、年の離れた弟の面倒を見てんだよ。親が面倒を見ないからさ。メシも作ってんだよ。洗濯もしてさ。そのうえ家のために、夜遅くまでバイトしてんだよ。だから、学校では眠くなるんだよ。家にバイト代、入れてんだよ。自分は、バスの定期券も買えないっていうのに、篠立沢駅から歩いていく子、うちでは多いだろ? バイト先でだっていろいろ怒られてさ、あいつ、家でもバイト先でも大変な思いしてんだよ。うちの生徒たちはそういうのが多いんだよ」
(p.106)

こちらはごく最近の話なのだ。他にも、食べるものがなくて動けなくなってしまう生徒とか、フィクションとしか思えないレベルの生徒がどんどん出てくる。精神的におかしくなってしまう生徒も出てくる。それに対して、先生達は一人ひとりに真摯に向き合う。

教育というものは本来『障害』という医学的モデルからではなく『本人が困っているものは何か』から出発しないといけないんだ。
(p.47)

この障害だからこうしようという定型的な処理ではなく、実際に本人がどのような問題で困っているのかを見て対応を判断しろというのである。原因を理解して対応する、基本中の基本だ。最初は諦めムードだった高校が、一つずつ改善して生徒に信頼される高校に変わっていく課程はノンフィクションとは思えないドラマチックな世界だが、全てハッピーエンドというわけではないのがリアルなのだ。

もちろん底辺高校なので授業が成立しない。サボって落ちこぼれたというのは分かるとしても、こんな環境の生徒がいる。

いくら『勉強しろ』って言ったって、あれじゃ、できるわけがないよ。家に、机一つないんだから、かわいそうだよな。
(p.191)

先に紹介した生徒の環境だって勉強できそうな感じがしない。そうやって経済・環境格差が連鎖して、こんな数字が出てしまう。

上位校の免除者数は2校合わせて1人、滞納者数は49人、中途退学者数は6人。これに対して、下位校の免除者数は2校合わせて88人、滞納者数は507人、中途退学者数は174人。

その授業が成立しない学校で、分からない生徒を対象に放課後の補習を始めた。先生はボランティアの大学生。このときの生徒の反応が意外と積極的なのだ。

勉強がわかる、わかると面白い、勉強は楽しいという、初めての経験をここで得た。わかれば誰だって楽しい。今まではわかるように教えてもらってこなかったのだ。
(pp.166-167)

誰だって分からないことが分かれば面白い。そもそも勉強というのは面白いものなのだ。分からないから面白くない。勉強が嫌いになる。きっかけがあればこの負のスパイラルは正のスパイラルに変化する。偏差値が低い生徒は確かに勉強ができないかもしれないが、勉強したくないとは限らないのだ。興味を持てる対象を見せると食いついてくる。

勉強だけでなく、就職に関しても厳しい現実が待っている。

日本では今、ノースキル・ノー学歴の子どもたち、生きる場所がないよ。困難な子どもたちを支援して就労につなげる役目を最も機能的に果たせるのは高校なんだよ。
(p.234)

そこで、アルバイトを斡旋して、お金を稼ぎながら仕事に慣れさせるというアイデアが出てくる。普通の高校だとバイト禁止なのだが、ここではバイト推奨なのである。発想の転換、視点の変更がとても斬新だ。

再チャレンジ高校というのは、落ちこぼれてしまった生徒にもう一度挑戦してもらおう、という意味なのだろう。しかし、この本を読んでいると、教育サイドに見直して再挑戦すべき点がいくらでもあるのではないか、その疑問を教育界に問いかけているような気もしてくる。


県立! 再チャレンジ高校 生徒が人生をやり直せる学校
黒川 祥子 著
講談社現代新書
ISBN: 978-4062884778