Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

横山大観

今(2018年5月)、東京国立近代美術館横山大観展を開催しているのだが、5月27日までなので、慌てて紹介してみたりする。なお、6月8日からは京都国立近代美術館で開催予定。

この本はカラー版で、絵も何点か紹介されているのだが、内容としては絵の解説ではなくて横山大観という芸術家の一生を紹介するもの、つまり伝記に近いものがある。

東京美術学校で絵を学んだ横山大観の若い頃の生活は楽ではなかった。むしろ困窮であった。その時の心境について、次のような記述がある。

しかし、私には前途に大きな希望があり、心の中には芸術にたいする燃えるような熱情があり、この二つのものの力に押されて、世の非難をも、生活の艱苦をも堪え忍ぶことが出来ました。
(p.55)

「大観画談」からの引用である。当時の月給が25円。本書では

二〇十七年現在の金に閑散すれば、およそ十二万円程度であろうか
(p.55)

というから、今でいえば生活保護未満の貧困度だ。そのときに希望と熱情が支えになったというのは出来すぎのような気もするが、しかしやはり事実なのであろう。生活だけではなく論争にも巻き込まている。横山大観の絵に特徴的なのが朦朧体と呼ばれる画法なのだが、これが賛否両論となり、非難の種ともなったという。このような画法は展覧会で実際に見て確かめてみたいものだが。

第3章で「遊刃有余地」という絵のエピソードが紹介されている。Wikisource には「恢恢乎其於遊刃必有餘地矣」と書かれているが、牛の肉の筋に沿って刃を入れていけばスッと切れるので刃こぼれもしないというのは、包丁人味平の「肉の宝分け」に出てくる白糸ばらしという技を思い出させる。しかし大観氏がこの絵を描いた趣旨がこうだ。

文展がみかけの技におぼれているのに対して、再興日本美術院は本当の道をめざすのだ
(p.115)

挑戦的でヤバい。当時の日本の画壇の対立関係は同書に詳しいのでそちらを読んでいただくと面白いと思うが、ザックリあらすじを紹介すると、岡倉天心横山大観達が東京美術学校から出て日本美術院を設立、しかしこれはいろいろあって頓挫する。それでも諦めることなく、1914年に日本美術院を再興。これが引用文に出てきた「再興日本美術院」である。再興院展は今も開催されている。文展は文部省美術展覧会で、今の日展に相当する。要するに横山大観はこの絵でケンカを売っているのだ。

日本画に対する信念にも猛烈なものがある。

東洋の絵には、それが名画である限り、東洋の哲学が示されて居る。詩や禅や、さういふものを解せずして、古賢の画を評することは不可能である。
(p.143)

大観が《生々流転》の製作動機を問われたときの返答だという (「大観芸談」『大観の画論』)。芸術が作者の表現であるならば、そこにメッセージが込められているのは当然のことだ。能楽との関連性についても、次のような解釈がある。

大観は、絵とは自然や人生の感情や喜怒哀楽を表現するものだと考えたい他が、能が表現するものもまた同じである。
(p.178)

となると、絵を鑑賞するにも教養が要るのである。言い換えれば、そのような背景を知った上で観ることで、また違った世界が広がってくるのだろう。


カラー版 - 横山大観
近代と対峙した日本画の巨人
古田 亮 著
中公新書
ISBN: 978-4121024787