Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

まほろ駅前多田便利軒

ドラマになったらしいが知らなかった。三浦しをんさんの「まほろ駅前多田便利軒」。ドラマになったのは続編の番外地らしい。そちらはまだ読んでない。

多田というのが主人公で便利屋さん。そういえば私も昔、便利屋を使ったことがある。依頼内容は引越しの後片付けだ。必要なモノは箱に詰めて転居先のアパートに送った後で呼び、残った大量のゴミ(笑)を何とかしてくれと頼んだのである。1万円程度で何とかしてくれたと思う。後で見に行ったら前の道路に消火器だけ捨ててあったが、私がやったわけではないから知ったこっちゃない。

この便利屋に行天というびっくり仰天の元同級生が転がり込む。本には6つのエピソードが収録されている。しかし三浦しをんさんの感覚はいまいち理解できない。

瀕死のグリズリーが産気づいたみたいに
(p.298)

とか言われてもイメージが微塵も出てこないのである。ピピピッ、て感じかな? どうでもいいのかもしれない。私の感性がズレているのかも。例えば、

旅はいつか終わるから旅なのだ。
(p.49)

いや、人生って終わらない旅って言うよね、芭蕉の立場ないよね、みたいな気分になってしまうのである。しかし考えてみれば人生だって終わってしまうのだからこれは三浦しをんさんが正しい。終わらない旅はない。途中で終わるのも旅なのだ。だとしたら、この文、一体何の意味があるのだ?

サブキャラもとてつもなくヘンで面白い。自称コロンビア娼婦のルル、その男のシンちゃん、その筋の男の星、刑事の早坂、皆ヘンではあるが人情味があって憎めない。最初、ひょんなことでババヌキのジョーカーのごとく手元に残されたチワワの引き取り手を捜してルルに会ったとき、多田はチワワを渡せないと判断する。

嘘つきにチワワはやれない。
(p.94)

コロンビア人というのがウソだから、そういう人には渡せないというのだが、これは実際は口実で理由は他にある。しかしこの言葉を聞いたルルのルームメイトのハイシーはこう言う。

じゃあ最初から来んな
(p.94)

昔から娼婦というのはウソを付くものに決まっている。吉原の時代からそうだし、もしかしたらもっと昔からそうだ。むしろウソを前提にした世界であるからこそ娼婦という職業が成立するのではないか。正直な娼婦がいて、今日は誰と寝たなんて日記を書いていたらとても恐ろしいことになるだろう。

話にアニメ「フランダースの犬」が出てくる。この話、アニメではなく原作の方は大変気に入っていて、高校生のときは英語の原文を全部暗記していた位だが、行天いわく。

「あのアニメを見て、親がいないってなんてすばらしいんだろうと思った」
(p.134)

その発想はなかった! まだ修行が足りないのか。あれはハッピーエンドという行天の解釈には全くもって賛成である。このストーリーだって、まあハッピーエンドなのだろう。もっとも旅はまだまだ終らない。

 

まほろ駅前多田便利軒
三浦 しをん 著
文春文庫
ISBN: 978-4167761011