Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

戦中派闇市日記―昭和22年・昭和23年

漸く読み終えた。長くなりそうなので、数回に分けて感想を書かせていただきたい。

個人的には山田氏は魔界転生のイメージなので推理小説という感じが微塵も無いのだが、

『達磨峠の事件』は従来からある型であるが本格的探偵小説として水準に達した作である。
(昭和二十二年一月十一日)

今回は、引用における出所は頁数ではなく日記の日付を借用する。

「達磨峠の事件」は山田氏の作品で、引用した評は江戸川乱歩氏が書いたものだ。それを山田氏が日記に書いたのである。絶賛している言葉を書き残した上で、これに対して「わが作はそうではないが」と謙虚に否定していたりするので、何かウソ臭いのが面白い。

この日記に書かれている内容は社会の出来事と天気と家計簿といった日記にお決まりのテーマに加えて、探偵小説論と、医学生ならではの医学に関する話題、そして戦争に関するものである。医学の話題といっても学問的に踏み込んだものというより、試験があるのに勉強が進んでないとか解けなかったとか、そのような話が多いようではあるが。

戦後間もないための混乱が少なからず影響している出来事も多い。

「ここは神代です。浮世はなれた神代ですなぁ」ともう一人の狂人言える言葉、胸に沁みたり。
(昭和二十二年一月十五日)

これは病院で五人の狂人と話をするシーン。会話だけでは狂気なのか悟っているのか分からない。敗戦直後の大混乱の中でこうならない方がおかしいような気もしてくる。

探偵小説に関する話題は、次のような感じで散発的に出てくる。

「探偵小説なンて書くもンじゃないなぁ!」との大下氏の嘆声に哄笑。
(昭和二十二年一月十八日)

これは土曜会という、探偵小説愛好者の集まりの話だ。大下氏というのは大下宇陀児さんのこと。

生活に関しては、次のように数字が出てくるのが興味深い。

食物底をつきたり、大根三本二十五円、コンニャク一丁十円、ダシ十円、ハンペン七個十円買い来り煮て食う。
(昭和二十二年一月二十五日)

これは高価なのだろう。食べるものがない時代のことである。

コーヒー一杯十五円也
(昭和二十二年三月十三日)

2018年現在のコーヒー一杯は、安いところで108円(税込)、高いところだと千円以上するが、少しオサレなカヘだと300~400円、喫茶店で500円程度のものであろうか。当時の15円というのは大根やコンニャクの価格と比べたら、今とさほど変わらないような気がする。

当時の社会は一体どういう状況だったのか。

新宿駅地下道にてパンパンガールらしきもの、黒人兵に抱きかかえられ、体をのけぞらして「いや、いやーっ」と叫びて唇を避けつつあるに、
(昭和二十二年二月十二日)

人間の証明」に米兵が日本人女性を襲うシーンが出てくる。あれは映画でフィクションだが、実際にそのようなことが日常茶飯事であったことも間違いない現実だ。そして日記ならではの、山田氏の遠慮のない精神的抵抗が至るところに見られる。

電車はものすごく混雑していたようだ。

民衆は叫喚と悲鳴と呻吟の塊となって電車にぶら下がりエッチラオッチラ、電圧が下がって、大橋から道玄坂へ超える坂は下でバリキをかけてその勢で駈け登らねば途中で停ってしまう騒ぎ。
(昭和二十二年五月二十七日)

今のインドの電車みたいな感じであろう。外にまでぶら下がって乗っているのかどうかは分からないが、昔の漫画に超満員電車の絵が出てきたような気がする。そして、次の話は先日も紹介したが、混雑した車内の話である。

老婆あり、前の女に一寸足を動かしてくれというに、その若き女、いきなり「お前日本人だろう」という。然りと老婆答うるに「日本人のくせに生意気な! あたしゃ中華だよ!」と怒鳴る。
(昭和二十二年四月五日)

当時の日本人が中韓の人達から差別の対象となっていたことが伺える。このような重要な事実は歴史教科書で明確に教えているのだろうか。このような事実を知らないと、いろんな史実を読み間違えてしまうだろう。

さて、これは小ネタではあるが、

人の見る夕刊のぞくに「舌を切られた犯人は何処へ――」などいう大見出しあり
(昭和二十二年四月十九日)

最近の新聞の見出しは不適切なものが多いが、この見出しは秀逸だ。不適切というのは、見出しから想像できる内容が真実とは異なるという意味で不適切なのである。ちなみに先の記事だが、

娘を襲いて廃屋につれこみたる痴漢、接吻中に舌を娘に噛みとられて逃走

というから凄まじい。

戦争に関しての記述は生々しくて重い。そして、戦争について書かれるとき、常に精神論が見え隠れする。

果して真にその残酷を痛感し良心にいささかでも一種の動揺を感じているかどうかは疑問であるが、兎に角あれを「残酷」とか「非人道」とかいう言葉に結びつける精神作用は日本人よりも却って米国人の方に強いように思われる。肝心の日本人はあれを「戦争だから已むを得ない」と感じている。あれを別に非人道として魂の底より憤激しているようには思われない。情けないことである。
(昭和二十二年二月八日)

あれというのは広島・長崎への原爆投下を指すが、当時の日本人がこれを仕方ない的に考えているというのは意外なことだった。今の感覚とは違う。そして山田氏はこれを情けないと批判する。但しこの後に続く文が凄い。ちょっと凄いのであえて引用しないが、興味がある方は是非ご自分の目で確かめていただきたい。

東京裁判も進行中で、日記にちらほらと出てくる。

東京裁判開始されたる時、日本の各新聞は米国の裁判制度を紹介し、それが審判までは被告を罪人として扱わざることを指摘し、日本の裁判に於て被告即ち罪人の観あるに比し、その人道的なるを賛美せり。
――盗賊かとうぞくにあらざるか罪人か罪人にあらざるか、日本の立場は裁判終始までは一がいに決せられざる筈にあらずや。
(昭和二十二年二月二十七日)

合理的な疑問だ。しかるに米国は偽瞞であるという結論に至るが、そんなことは最初から分かり切ったこと。イエスに死刑判決を下した宗教の国らしき行動でむしろ当然ではないのか。

医学部の大学の試験が終わったところの日記が興味深い。終わったのに「案外嬉しくない」というのである。

この原因は出来不出来より、試験中の苦しみが不徹底なものであったということに依るものだろう、苦しみすくなければ悦びまた少なし。
(昭和二十二年三月二十七日)

至言である。努力は報われるというのは、案外そういうところに根差すのだろうか。つまり努力が報われるのは頑張ったからではなく苦しかったからではないか、というのである。

(つづく)


戦中派闇市日記―昭和22年・昭和23年
山田 風太郎 著
小学館
ISBN: 978-4093874403