Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

君たちはどう生きるか (3)

今日はまた「君たちはどう生きるか」に戻ってみる。4章には「貧しき友」というタイトルが付いている。

最近、子供の貧困が話題になっているが、当時の貧しさというのは次元が違うから今の貧困と比較すると解釈を誤るだろう。当時の貧しい人が今の貧困家庭を見たら、なんて贅沢な暮らしをしているのだと羨ましがるに違いない。なにしろ食べるものがあるのだから。

友というのは浦川君のことである。浦川君が学校を二、三日休んだので、コペル君は風邪でも引いたのではないかと心配する。そこで浦川君の家まで様子を見に行くと、浦川君は竹箸を持って立っていた。

「手が足りませんもんで、これにも学校を休んでもらっておりますんですよ。
(p.105)

つまり、浦川君は働くために学校を休んだのだ。なぜ学校を休んで働くのか、今の若い人達には理解できないだろうから蛇足しておくが、働いてお金を稼がないと一家が食べていけないからである。この時、浦川君のお父さんは親戚にお金を借りに行って留守にしていたのだ。

竹箸を持っているのは油揚を作るためである。浦川君の技を見てコペル君が驚く。なぜ上手くなったのか訊ねると、

一つやりそこなうと、三銭損しちゃうだろう。だから、自然一生懸命やるようになるんさ…
(p.107)

最近の知恵袋とか見ていると、人間の価値は年収で決まると思っている人が9割のようだが、

もちろん、貧しいながらちゃんと自分の誇りをもって生きている立派な人もいるけれど、世間には、金のある人の前に出ると、すっかり頭があがらなくなって、まるで自分が人並みでない人間であるかのように、やたらにペコペコする者も、決して少なくはない。
(p.129)

なかなか世間は厳しそうである。確かにお金のためなら何でもやるタイプの人もいるが。貧しいが誇りを持っているというのは正岡子規が書いている曙覧の話を思い出す。子規は「曙覧の貧は一般文人の貧よりも更に貧にして、貧曙覧が安心の度は一般貧文人の安心よりも更に堅固なり」と書いているが※、貧乏を極めたらその境地は恐るべき高みに至るのか。

浦川君の家は豆腐屋で、学校を休んで働かないといけないほど貧乏だが、それでもまだいい方だという。

浦川君のうちでは、貧しいといっても、息子を中学校にあげている。しかし、若い衆たちは、小学校だけで学校をやめなければならなかった。
(p.132)

若い衆というのは、浦川君の店で働いている人達のことである。義務教育というのは子供が学校に行く義務ではなく、保護者が子供を学校に行かせる義務だ、というのは常識だと思うが、その背景には当時のように、子供に働かせないと生活できない時代があったのだ。

ただ、いまの君にしっかりとわかっていてもらいたいと思うことは、このような世の中で、君のようになんの妨げもなく勉強ができ、自分の才能を思うままに延ばしてゆけるということが、どんなにありがたいことか、ということだ。
(p.136)

今の高校生は大学に行って遊びたいという。学びたいとは言わない。君たちは何かおかしい。

(つづく)

君たちはどう生きるか
吉野 源三郎 著
岩波文庫
ISBN: 978-4003315811

正岡子規 曙覧の歌 (青空文庫)