今日紹介するのは、昨日雑記で書いた「めざめれば魔女」。
朝起きたら魔女になっていました、的な話ではなくて、魔女になる儀式もなかなか大変で描写も細かいのだが、それはそうとしで、
「ソリー・カーライルは魔女なの」
(p.25)
これにいきなり度肝を抜かれた。あり得ない設定だ。だって、ソリーは男子だから。しかし魔男って言わないよな、確かに。
主人公のローラは、
なんと名字はチャーント(聖歌などを歌うこと)と、まるで正反対
(p.33)
音痴なので名前負けって話なんだけど、しかし、Chant といえば真っ先に頭に浮かぶのは呪文を唱えるという意味だね。英語だとそういうイメージが出てくるのにこの注釈はもったいない。
ローラの思考回路はかなりショートしそうになっている。
「なぜ、みんな、理解がそんな大事だって思うのかしら。わかってみるといやなことっていっぱいあるのに。」
(p.94)
世の中には知らない方がいいことがたくさんあります。みんなそうして大人になっていくのです、的な話かな。そのうちスルー力も身に付いてくるから大丈夫。男の魔女のソリーは少しリアルな考え方をする。
「それにさ、だいたい害がない。こちらがそうしているのに相手が気づきさえしなければね。」
(p.116)
確かに、想像の中で何しても相手に害はないね。しかし、それが少しでも現実世界にはみ出てしまうと大変なことになる。
このストーリーでいくつかポイントになっている考え方がある。その一つが「招き入れる」ということ。
「招き入れられるということは、魔女にはたいへんな意味をもつんだ。」
(p.149)
それは最終的には支配する/される、というような意味になってしまう。
やつは察するところ、ものすごく年をとっている。となると、そんな自然の摂理に反する肉体を維持していくのは、どんどんむずかしくなっていってるはずなんだよ。
(p.182)
ま、歳をとるといろいろ大変なんだよ。
もう一つのポイントは犠牲、代償。
魔女は、変化を起こすときには、自分の血を流さなきゃいけないの。
(p.184)
吸血鬼もそうだけど、血というのは魔力の元になるってことかな。
ところで、最初に紹介したように、魔女になる儀式の途中の描写が細かくて実に興味深い。
小人たちが見えたかと思うと、道に迷った王子らが見え、白鳥やカラスに変えられてしまった兄たちを救おうとして自分に沈黙の業を課した美しい娘たちがすぎていった。
(p.256)
この後にもずらずらと不思議な光景が描写されていく。心理学的に解説してもらったらとんでもない深層心理が暴露されてしまいそうだ。「コマドリに木の葉のふとんをかけてもらった子どもたち」というのは、何か元ネタがあるのだろうか。
最後にローラは悪霊のカーモディ・ブラックと戦って、圧倒的優位になる。あとはいつでもトドメを刺しておしまい、という状況になって、敵を苦しめてやろうとしているローラを見たソリーの次の言葉。
そうやって楽しめるかどうかが、人の心というものをもっているかどうかを計るものさしだと思うよ。ぼくは心を捨てようと決めたとき、たぶんそれに気づいたんだ。
(p.324)
心を捨てるまで気づかないというのが奥深い。
めざめれば魔女
マーガレット・マーヒー 著
清水 真砂子 翻訳
岩波少年文庫
ISBN: 978-4001146097