Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編

今日は少し頭がクラクラしているので、調子に乗ってねじまき鳥の続きを書いてしまおう。今日は第2部について戯言を書きたいのだがその前に第1部の間宮中尉の話をなぜ無視するのか言い訳しておきたい。

一説によればその話はこの長編小説の中核となる重要なエピソードだという。井戸の話だからイド(自我)に関係あるという説まであるが、そんなオヤジギャグに乗っかるほど私は甘くはない。下らん洒落が言霊として発動する系なら八九寺真宵という名前なので迷子になってしまう化物語の方がよほどリアルである。中尉が井戸に飛び込んで一命を取り留める話は最後まで引きずるからある意味とても重要なのだが、それよりは第2部に出てくる手紙の方が重要だと思う。ということで優先順位で無視したわけだ。井戸の底にいる中尉は、ほぼ暗闇の中で光を求めて、

十秒か二十秒だけまっすぐに井戸の底にまで射し込んできた、あの強烈な太陽の光
(p.82)

そこに人生の真理を見出そうとする。

私がその井戸の中でいちばん苦しんだのは、その光の中にある何かの姿を見極められない苦しみでした。見るべきものを見ることができない飢えであり、知るべきことを知ることのできない渇きでありました。
(p.84)

哲学だなぁ。私はもちろん井戸の底から上を見たことはないが、一瞬光がさすという状況が実に興味深い。おそらく井戸は地面に対してほぼ垂直に掘られているだろう。従って、太陽光が底に届くのは正午だ。底に光が届くのだから、太陽はほぼ完全に真上に位置しているはずである。井戸とイドを結び付けたいのなら緯度も気にすべきだろう。舞台となっている満州ハルハ川付近の国境地帯は北緯47~48度あたりだろうか。どうすれば真上に太陽を昇らせることができるのか想像もできないが、井戸の南側にブラックホールがあって光が曲がったというのはどうだろう。もっと単純なトリックで、井戸の上に鏡が置いてあったというのも捨てがたい。あるいは実は斜めに掘ってあるとか。

話が前後するが、この手紙の前に主人公の岡田は加納マルタ綿谷ノボルに会って話をする。そういえば人物紹介をしていないが、面倒なので Wikipedia でも見て欲しい。この会談で岡田と綿谷ノボルのガチンコ対決が微妙に面白い。

いいですか、僕はあなたが本当はどういう人間かよく知っています。
(p.73)

綿谷は妹たるクミコの夫がそう言うのだからいろいろ訊いているかも、と勝手に想像して疑心暗鬼100%なのだが、

僕の言ったことはほとんどがはったりだった。
(p.73)

というオチになっている。いやいや、そうではない。実は知らない間に綿谷ノボルのことをよく知っているのではないか。知らなくても本人が知らない間に知っているかのように振舞ってしまうことはある。そして偶然にしても、これはかなり痛いところを突いたようだが、しかし、それは結局自分自身を突いたのとあまり変わらないことだ。

岡田は自ら井戸の中に降りてみて、そこでクミコのことを考える。よくある夫婦と同じように、二人はかなりの部分を共有してかなりの部分を理解しないまま過ごした。全てを理解するのは前回も述べたように不可能なことだ。

確かにいちいち説明して理解させなくてはならないのなら、時間や手間がかかっても一人で黙ってやった方が楽だった。
(p.138)

何でか知らないけど岡田は何をやっても説明し辛い状況に導かれるようになっている。運命なのだ。何でかは知らないと書いたけど知っている。そうでないと小説が成立しないからだね。綿谷ノボルに言わせたら、世界のルールは簡単らしい。

すべてのものごとは複雑であると同時にとても簡単なのです。
(p.157)

簡単なものを組み合わせるだけでとても複雑でデバッグ不可能なプログラムが出来上がることは長年の経験でよく知っている。昔、プログラマー達は、複雑なプログラムのメンテナンス不可能性に絶望し、単純なモジュールを組み合わせることでこの問題を解決しようとした。個々が単純な構造なら、メンテナンスも簡単になるだろうと考えたのである。軽率だった。そしてプログラマーは途方に暮れるわけだが、

途方に暮れたい人には、途方に暮れさせておけばいいのです。
(2巻、p.168)

ま、それもそうだ。しかし、夢の中で綿谷ノボルがこう言うと、岡田はかなり腹を立ててしまう。ちなみに人間は本当のことを言われたら腹を立てるそうだ。綿谷ノボルという人物は、この小説中では岡田の天敵のような立ち位置だが、よく考えるまでもなく、この人物は岡田と同類なのである。だから腹が立つのも当たり前のことなのだ。

岡田は井戸の底に降りていろいろ妄想している間に笠原メイに梯子を外されてしまって出られなくなってしまう。それを加納クレタが見つけて外に出られるのが何ともご都合主義というか微妙な話だが。その間に岡田は夢の中で、電話を何度かかけてきた謎の女に出会う。謎の女は誰だかまだ分からないし、誰なのか訊いたら、

「あなたは私の名前を既にちゃんと知っているの。
(p.166)

そして岡田は、出会ってはいけない誰かを避けるために壁をすりぬけて逃亡する。

壁はまるで巨大なゼリーのように冷たく、どろりとしていた。
(p.169)

外に出た岡田は、顔にアザができているのに気付く。これは、

何か大きな身体的な変化のようなもの
(p.241)

としてこの後ずっと残っている。コブトリ爺さんに出てくるコブのようなものだ。おそらくこのアザは、もう一度そこに来させるための約束のようなものなのだ。

時間についての思考を放逐してしまおうと決めたときからずっと、僕の頭はほとんど時間のことしか考えていなかった。
(2巻、p.306)

何も考えるな、と思わず考えてしまうアレですね。

綿谷ノボル様は岡田様とはまったく逆の世界に属している人です
(p.308)

しかし同類なのではないか。禁書目録当麻アクセラレータみたいなシンメトリーがある。つまり、両者は対称的であり同時に多くの要素を共有しているのだ。対称だから一致するパーツは全く持っていないのに、デザイン的には裏返っているだけで全て共通なのだ。

話は変わって、岡田の叔父が、かけてもつれた謎を解くコツを熱弁しているので紹介しよう。

コツというのはね、まずあまり重要じゃないところから片づけていくことなんだよ。つまりAからZまで順番をつけようと思ったら、Aから始めるんじゃなくて、XYZのあたりから始めていくんだよ。
(pp.370-371)

まず下位から始めよ、といいますね。プログラミングも。

何か大事なことを決めようと思ったときはね、まず最初はどうでもいいようなところから始めた方がいい。誰が見てもわかる、誰が考えてもわかる本当に馬鹿みたいなところから始めるんだ。そしてその馬鹿みたいなところにたっぷりと時間をかけるんだ。
(p.371)

それで岡田はその後人間観察を始めることになるのだが、そのあたりのノリがやっぱり私にはピンと来ない。人間観察は大好きで、実は昔、渋谷でよくやっていたのだが、それでもわからない。


ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編
村上 春樹 著
新潮文庫
ISBN: 978-4101001425