ドラマ「わろてんか」の吉本せいさんの生涯です。あとがきには1987年という年号が出てきます。私が読んだのはちくま文庫から新版として出たもので、2017年9月10日初版となっていて、ちくま文庫本版あとがきが追加されています。
吉本せいさんは、言うまでもなく吉本興業を大会社に育て上げた女社長。ドラマ見てないから今どの辺なのか分かりませんが、
吉本吉兵衛が、その生涯を終えたのは、いま流に数えると三十七歳で、
(p.93)
そこからが大変なんですね。しかし、せいさんは才能を存分に発揮してうまくやってしまうのです。とくにビジネス目線でのマネージメントが素晴らしく、どうすればもうかりまっか、的なセンスが抜群です。お金は客を回転させた方がたくさん儲かる、ま、常識ではありますが、てなわけで、
うんと下手くそな、受けない藝人をあいだにはさんで、思いきり長時間やらせる。
(p.37)
おもろない芸で客を帰らせて回転させる、という発想がスゴイです。客だけでなく、芸人にもあの手この手で手玉に取ります。豚もおだてりゃ木に登ります。
そのやさしさが、彼女の本心からのものでなく、ひとを使う立場にある者のひとつの技術であることなど、そんなやさしさにふれたことのない藝人たちに見抜けるわけがなかった。
(p.43)
興行にはいろいろ裏の付き合いもあったりして、ヤクザがショバ代をよこせと来るのですが、この応対がせいさんの担当。吉兵衛さんはやりません。せいさんにやらせた理由が、
この種の人間たちが、かたぎ然とした女や老人に対して、無理難題をふきかけることの絶対にないことを知っていた吉兵衛は、せいに応対させたほうが結果的に安くつくとふんだのである。
(p.52)
なるほど。義理人情の世界ですからね。当時は。今は知りませんが。私は関西で高校生をしていた頃、学生服を着ていたらヤクザは手を出さないことになっているから大丈夫と言われました。さらに、せいさんは博徒の世界だけでなく警察の退職者を雇うことでバランスをとります。これもスゴい発想です。
この本では、桂春團治さんの話題がたくさん出てきます。「はなしか論語」の紹介は少し気になりました。
一 名をあげるためには、法律にふれないかぎり、何でもやれ。芸者と駆落ちなど、 / 名をうるためには何べんやってもいい
一 借金はせなあかん
一 芸人は衣装を大切にせよ
一 自分の金で酒のむようでは芸人の恥
一 支障と弟子は親子の仲。女中や車夫は使用人。使用人は時間に寝ささねばならない。弟子に時間はなし
一 女は泣かしなや
(pp.86-87)
むぅ。流石なのか、これは。
関東大震災の話も出てきますが、その後の対応もすばやかったようです。東京の芸人を大阪に呼んで寄席に出てもらいました。東京の落語は大阪ではウケないという定説でしたが、
震災の被害に対する同情もあってか、連日大入りがつづいた。
(p.92)
東京の下町もそうかもしれませんが、大阪も人情の街ですね。特に大阪のおばちゃん(笑)。
漫才の話は、伝説のコンビ、エンタツ・アチャコが登場します。途中「万歳」という表記が出てくるのですが、
今後「万歳」は「漫才」と解消する旨を記した印刷物を各方面に発送したのは、昭和七年一月のことである。
(p.160)
それは知りませんでした。
大阪商法の話も、一貫して出てきますが、
なにも吉本せいに限らず、「必要なものには惜し気もなく金を投ずるが、無駄なものには一銭たりとも払わない」というのは大阪商法を貫く思想のようなものだが
(p.177)
要するに儲かるネタには金を注ぎ込むが、無駄なものはとにかくケチる。関西ではドケチといいます。そういえば私も大阪育ちのせいでしょうか、普段はカップラーメンで節約して、寿司特上を注文したがる人です。
この後に出てくる話で、松葉家奴さんという芸人が入院したときに一等の病室に入れたのですが、アカンと思って三等の大部屋に変えてもらったというのです。死ぬのなら高い入院費を払うのは無駄なんですね。ところが容態がよくなった。
病室、また一等にしてや
(p.180)
素晴らしいです。
五章「落語との訣別」に出てくる小春團治さんの話もスゴい。吉本に反発して飛び出したら干されてしまうのです。