Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

雑記

今日は「自警録」を少し読んでみた。いろいろ面白い例が出てくるから面白い。

「ロシア人は死するも活くるも神の力により、働くも働かぬも神のためなりと、こう考えていたらしい。ゆえに卑怯者もたくさんあったが、何ごとなりとも目例を受くると、人が居ろうと居るまいとを問わず、神のためと思ってその任務を果たすことにつとめた。しかるに日本兵は煽てなければ働かない。決死隊と称するものも、何人か彼らの花のごとく散るありさまを目撃する者がなければ、ことに将校が現場に居る場合でなければ、士気ははなはだ振わなかった」(p.60)

満州における日露兵の比較だという。もう百年ほど前の話だし、今の感覚からはかけ離れているかもしれないが、ロシア人が神のために働くというのもピンと来ないのに比べて、日本人が誰か見てないと仕事しないというのは、ありそうなだなという気がした。

その割には、勉強するところはあまり見られたくないという人がいる。勉強しなくても成績がいい、というのが理想らしい。勉強しなければ成績が悪くなるのは道理なのだが、勉強しなくて成績がいいというのは原理的にあり得ない。ならば勉強しているところを見られても気にする必要はないと思うのだが、何か勉強すること自体が恥ずかしいとか、そういう感覚があるのかというと、それはないような気もする。何かよく分からない。

 自警録
新渡戸 稲造 著
講談社学術文庫
ISBN: 978-4061585676