Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

寂聴 般若心経―生きるとは (2)

明日に続くなんてうっかり書いてしまったら書くしかないですよね。真実は美しくないという話で、次のような言葉が出てきます。

心に闇があるから、人間のすることは、ろくでもないことが多いんです。でも、それが人間なんです。
(p.143)

性善説とか性悪説とかありますが、ちなみに私はどちらもある説ですが、ダメ人間の話があらゆる宗教に出てくるのは、それが普遍的な真実だからなのでしょう。先の言葉は「苦集滅道」という章に出てくるのですが、この章、いろいろな苦しい話が出てきます。浮気の話とか、瀬戸内さんの話は説得力があります。そこは少しスルーして、偉いお坊さんが死ぬときの話。

この人が死ぬときに何かカッコいい遺言を言ってくれないかなと思っていたんです。それで「まさにお死にになりますが、いかがですか」と聞いた。そしたら「死にたくない」(笑)。
(p.146)

確か、一休さんにもそういう話がありますね。「死にたくない」という遺言ってよく考えなくても意味不明です。それが言えることがかえってスゴいと思います。だいたい、言葉にできることには限界があって、

本当にお釈迦さまが悟ったことというのは、そういう文字なんかで書けるものじゃないと思うんですよ。
(p.152)

禅って基本そうですよね。前回、分からんことは分からんというような話を紹介しましたが、自分では分かっているつもりなのに言語に置き換えられないものだってあります。それをどうやってAIに理解させるか、という話に発展させると情報哲学になります。

八章の「心に罣礙なし」には、中国の話が出てきます。これも度肝を抜かれる面白さです。瀬戸内さんが行ったのは敦煌なのですが、昔来たときはボロボロだったのが、随分経ってから再び来たときには直っていたようです。

だけど、それが下手くそなものだから、修復しないほうがいいんです。
(p.158)

ペンキで塗ったりしたのでしょうか。日本人は壊れたら壊れる前の状態にしようとしますよね、400年前のものなら、400年経った今の状態を復元しようとします。当時の材料や部品に近いものを使って直します。中国はそうではないですよね、万里の長城でしたっけ、どんどん修復して別のナニカになっているというのは。

墓石を石段に使う話も出てきます。瀬戸内さんがそれを踏んで上がるのを躊躇していると、なぜ上がらないのかと訊かれる。

これは墓石だから踏みにくいと答えると、「そんなことはありません。これは物質です」と言うんです。その男の子は革命後に教育を受けているから、これは物質です。仏教は阿片ですと。
(p.164)

お墓を踏むというのに何の違和感もないという人たちがいるという事実を理解しておかないと、靖国問題とかどんな説明をしても通じないでしょう。根本的にナニカが違う世界があるのです。なんかまた時間がないので、さらに明日に続きます。


寂聴 般若心経―生きるとは
中公文庫
瀬戸内 寂聴 著
ISBN: 978-4122018433