昨日紹介した「青の数学」の後編です。 数学的小話は相変わらずたくさん出てきますが、個人的にはこの巻は禅の話に見えました。 プログラマーは禅が好きという妄想もあるのですが、数学も禅と繋がってますかね、GEBもそんな感じだし。
【honto 電子書籍】 青の数学2―ユークリッド・エクスプローラー― (王城夕紀)
例えばこういう会話があります。
「論理は、どこから来るんですか」
「お前からだよ」
(p.10)
論理を作るところから数学である、という話です。ユークリッドの第五公準の話は、私はブルーバックスで読んだような記憶がありますが、子供の頃にこの種の話に触れることができたのはラッキーだったかもです。論理がどこから来るのか、なんて question は禅問答のよう。六祖慧能の「お前はどこから来た」と同じ話なら、数学が解けると大悟できるかもしれません。
「問題を解くだけが数学じゃないからな」
(p.20)
二宮の言葉です。ゴールを目指すことではなくレースそのものが人生だという思想に繋がりますね。 二宮というのはこの話に出てくる天才数学少年の一人で、この小説には天才的な人がたくさん出てくるのですが、才能に対する主人公の栢山の考え方はクールです。
「自分の才能とどう向き合うか、の方が難しい気がするんです。たとえ才能がなかったとしても」
(p.40)
とはいっても、ない方が向き合うのは難しいと思いますけどね。ないものにどうやって向かえばいいのか。虚数でも掛けてみますか。
この巻にはダークマターというダースベイダーみたいな強敵が出てきて、次々と勇者を倒していきます。 決闘して負けた人はバトルステージを去っていきます。 高梨姉妹の妹がダークマターに負けて、姉が敵討ちの勝負に挑んで返り討ちにされるシーン。
決闘は一週間に及んだという。挙句、高梨の姉は、大差をつけられて負けた。最初の二日で既に絶望的に差が開いた。そこから残りの五日、高梨の姉はまるで這いずるように問題を解き続けていた。傍で見ていても地獄だったと、伊勢原は書いていた。
(pp.67-68)
勝負が決まってから5日間も解き続けるというのは、昨今のネトゲで不利になったら落としてしまう奴らには理解できないでしょうな。 高梨姉妹は決闘で敗れたので去っていくのだろうかという話が出たときに、
それは、本人が決めること。
(p.69)
「それはあなたが決めることです」は家政婦のミタ。しかしこれは数学的な解にも見えます。非決定的な問題なのです。第五公準が活きています。 さっき出てきた伊勢原はかなりの強者なのですが、弓削と勝負して負けます。このときに栢山なら弓削に勝てると余計なことを言ってしまったので、弓削は栢山に勝負を挑みます。このときの栢山が絶不調です。
問題を見ることを、頭のどこかが、もしくは体の奥底が、拒んでいる。なぜかは分からない。
(p.87)
でも勝負は受けます。5問勝負で先に3問解いた方が勝ち。 2問はあっさり簡単に負けた後、なぜか勝てるようになり、「なぜかは分からない」の「なぜか」に気付いた栢山は大逆転して勝つことができるのですが、何だったのかというと、
邪魔なのは、自分で。
数学世界だけが、あればいい。
(p.137)
無我の境地、やはり禅になってしまいますね。 ところで私には、なぜ伊勢原が栢山が勝つと分かったのか、そこのところはどうにも解けませんでした。