Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

ゲーデル,エッシャー,バッハ あるいは不思議の環

U「これは名著ですね。Amazon の書評が全部5つ☆なんてのは珍しいと思いますが、で、どうです?

ふ「流石にこれは私ごときが書評を書ける本ではないでつが、とりあえず、ゲーデルエッシャー、バッハといえば次に出てくるのはカッパの屁でしょうか。

U「なんでキューかそれは?

ふ「すみません、見逃してください。ということで、お詫びのしるしに真面目に評させていただきましょう、早速ですがモーツァルトの話から。

U「バッハですよ?

ふ「クラシックな人はいろいろ聴いてみて、最後はモーツアルトに帰ってくるという伝説があります。出所不詳ですけど。

U「じゃなくて、なぜバッハでなくてモーツァルトの話になるのですか?

ふ「それはモーツァルトの音楽が神と近いところにあるからです。いくら探しても見つからないのですけど、多分サン・テグジュベリも言ってます。

U「ハァ?

ふ「バッハの曲が幾何学的な論理体系から構築されているのと同じように、モーツァルトの音楽は非論理的な感性における必然によって完成されていますから、チューリングがどうにも止まらないと言って困り果てたコンピュータというか万能機械に人工知能を乗せるためには、モーツァルトを理解する必要があるのです。

U「人工知能?

ふ「おやおや、この本はプログラマー的には人工知能の本でしょうが。

U「そうでしたっけ?

ふ「もっとも、そのことを証明しろといってもちょっと無理というか、論理的に不完全ですみません。

U「まあ不完全性はともかく、本の話がまるで出てこないと思ったらやっと出てきましたか。確かにこの本には人工知能の話題が割と出てきます。

ふ「チューリングさんも出てきますし。だいたいゲーデルといえばフォン・ノイマン氏が出てくるはずなのですが、とりあえずこの本の概要を述べておくならば、

超数学的モデルの実装だけでは人工知能は構築不可能である

ふ「という感じ、思い切って30文字程度に要約してみました。

U「よくあの分厚い本を30文字に…というか要約しすぎだろ、いやそれはそうとして、そんな本だったかなぁ…?

ふ「まあ要するにそういう話が延々と書いてあるだけの本です。

U「だけ?

ふ「いや、厳密に解釈するなら、その話題の一部が書いてある本です。

U「ちょっと…というかかなり違うような気がするけど、それはそうとして、結論は出てしまったのですか、AIは実現不可能だと。

ふ「ところが人間というオブジェクトが実在するので厄介なんですね。あ、もちろん、人間に知能があることは自明、あるいは前提条件として明白であるとしましょう。

U「不条理な存在なのですね。

ふ「それ(人間)は一体どうすれば構築できるのか。あるいは、プログラムとしてシミュレートするにはどうすればいいか。要するに、不完全性定理というのは、数論的なモデルでプログラムを作っても全知全能にするのは不可能、というかなり当たり前っぽい事実を述べているだけなのであって、そもそも全知全能にする必要はないというのなら話は変わってくるし、それ以外のモデルでナニができるかという話は神のみぞ知る、みたいな。

U「それ以外のモデルって、何かあるのですか?

ふ「例えば、無矛盾性なんかにこだわるからおかしな話になるわけで、世の中は矛盾に満ちているのだから、そもそも論理系を有矛盾系にしてしまえば、みたいな。

U「墓穴を掘りそうですが、モーツァルトはどこに行ったのでしょうか?

ふ「つまり、裏を返せば、バッハ的構築術では人工知能は作れないので、モーツァルト的解釈をしなさいよ、と言ってるのです。さっきから。私見ですけど。

U「どうもよく分からないのですが、バッハとモーツァルトコンポジションにおいて、何か根本的な違いがあるのですか?

ふ「一言でいえば、バッハは曲の中に自分の名前を埋め込むことができましたが、モーツァルトの場合、そういうことは不可能ですよね。

U「曲の中に B-A-C-H というメロディがあるというアレですか?

ふ「誰が言ったか知らないが、確かに聴こえる空耳アワー、というコーナーがタモリ倶楽部にありますが、あのオープニング曲がソラミミになっているのと同じですね。

U「H というのは何なのか、というのはこの本に説明がありますね。

ふ「しかし同じようにやろうとしても、Mozart という文字列を音階化するのは、不可能ではありませんが、そう単純ではないと。

U「ゲーデルとバッハという組み合わせもかなり意表を突いてますが、ちなみに、モーツァルト人工知能とはどういう関係があるのでしょう?

ふ「ソフトウェアの美学とかですか。この本の前半にもまずの話が出てくるのですが、不思議な環というとまず思いつくのはスパイラル開発とかアジャィルとかですよね。

U「普通はそんなこと思わないです。

ふ「アジャィルというのは、とりあえず上に上っていったら元に戻ってしまったので、エッシャーさん、ここ書き直しましょうよ、と横から口出しできる開発手法なんです。

U「違うだろ

ふ「ものはたとえというか、画像はイメージで、実在のナニは関係ありません、みたいな理解で構いません。

U「さっぱり分かりません。

ふ「知能の構築のためには理性ではなくて感性をモデリングしないとだめだという話ですよ。だからバッハじゃなくてモーツァルトエッシャーじゃなくて、高橋留美子じゃないとダメなんです。

U「(ちゅどーん)

ふ「あ、指がポイントです。それはそうとして、そこに出てくるのはロジックではなくて、不条理の世界なんですね。

U「唐突にだからと言われても前後の関連がサパーリ分からんのですが。

ふ「モーツァルトの曲の特徴として、長調かと思えば短調短調かと思いきや長調、という感じで、長調なのに悲しげで、短調なのに明るい、という謎の曲想がよく指摘されるようです。

U「まあその話は有名だから否定しませんが。

ふ「長調は明るく感じられ、短調は暗く感じられるのはなぜか、というネタはプログラマーズフォーラムでも出ましたね。なぜでしたっけ?

U「そういうものだから、とかいう? 後天的学習による影響か、というような話もあったと記憶していますが。

ふ「おやまあ、そこをクリアしないと、人工知能を作るにしても、「明るい曲を作れ」という簡単な命題すらクリアできませんよ。

U「まあそりゃ、明るい曲を作るためには、明るい曲とは何か、を知っていないとダメですね。

ふ「つまり、美とは何か、というのと同じノードの世界なのです。

U「また美が出てくるのですか。そもそも、コンピュータの話をしようとしている矢先に、美なんて世界に踏み込んでしまったら、その途端に全破綻するのではないでしょうか。だいたい、美って何ですか?

ふ「それを論理学的に定義するのではない、というのはよろしいですね? 論理学的に仮に定義できたとしても、それだけでは不完全だということで。じゃあどうやって美を定義するか。一つのヒントとしては、美というのは乱れの中にこそある、というところが重要で、例えば、完全なる乱数を作るようなもので、結構大変な話です。

U「乱数? 完全な乱れというと、カオスとかですか?

ふ「あるいは、どうしても論理学にしたければ、アクティブな体系が必要かなと。

U「アクティブ?

ふ「あるいはダイナミック。例えば命題 R を、時間軸も入れた t の関数として定義するとか。その時の空気を読んで真偽が決まるとかいう。

U「次元が増えるだけだと意味がないじゃないですか。

ふ「アキレスと亀パラドックスは知ってますか?

U「まあ一応。

ふ「この本は、構成がかなり複雑なのですが、ところどころでアキレスと亀の漫才が挿入されているので、かなり読みやすい感じがします。

U「漫才?

ふ「何でアキレスと亀かというと、例のパラドックスから出てきたわけですね。おさらいしておきますと、アキレスと亀が競争しようと行った。いいっすよ。では早速、ようい、ドン。ところが、亀がいきなりアキレスのアキレス腱に噛み付いたのだっ。

U「カミツキガメでしたか。

ふ「弁慶にも泣き所があるように、超人と言われたアキレスにも唯一の弱点があって、つまりアキレス腱だといわれてますね。

U「確か親がそこ持って川の中に逆さづりにして突っ込んだんですよね。手で持っていたアキレス腱だけ川に浸けられなかったので弱点になったと。それが何か?

ふ「こんなことをされては流石の俊足アキレスがいくら走っても、亀を引き離すことはできません。亀が噛み付いたまま離れませんから、結局、同着ですね。いつまでたってもアキレスと亀は同じ位置にいることになる。もっとも、アキレスと亀の逸話とはこの話、全然関係ないですけど。

U「だったらそんな話するなよ。

ふ「最近、カミツキガメが都心で見つかったとかいうニュースがあったので、ついうっかり。

U「飼い主のモラルが問われるみたいな話ですか。

ふ「他には、つぇのんの逆説とか有名ですね、飛ブ矢動カス。

U「動かすんですか?

ふ「いやこれは「うごかず」と読むのですね。

U「前田慶次みたいな奴やな。

ふ「不便者ですか。ちゃんと状況意味論的に完成したAIなら正しく読めるだろ、という含みを持たせて、昔風に書いてみました。またまた話が逸れるというか、ツエノンとは関係ないですが、数学者で、デデキントって人いますよね、」

U「今更言われなくても最初から最後まで話が逸れているような気がするのですが、それって、デデキントの切断で有名な人?

ふ「板チョコ割るときにですね、

U「板?

ふ「割るのが下手だと、区切りのところできれいに割れないで、盛り上がった所まで割れてしまったりするわけで、それを食べるときに、何となくいつも思い出すのですよ、デデキントの切断を。

U「それがこの本と何の関係が?

ふ「あるといえばあるし、ないといえばない。」

U「orz

ふ「あえて言うなら、この本、ちょっと重すぎます。洋書だとペーパーバックもあるそうですが、分割して文庫本で出すとか、何か読みやすくして欲しいような気が。

U「ですから、こんな話を書いてたらキリがないのでもうやめましょう。

ふ「とにかく、ためになるかどうかは別として、買って損はない本です。全然書評になっていませんですが、おすすめです。

U「説得力ないというか、この書評で買う人はいないと思いますが。ちなみに、この本に対して何か批判的な評とかないのですか?

ふ「あえて言っても構わないのなら、禅について書いてある第9章は、禅以外のところはともかく、禅に関する言明は何か消化不良のような気がします。もっとも、この本には

私自身、禅を知っているかどうか心許ない
(p.251)

ふ「と書いてある位ですから、実はよく分かっていないのかもしれません。なおページ数は新しい方のものです。

U「ということは、あなたは禅が分かっていると?

ふ「いや、全然

U「 _| ̄|○

ふ「例えば、この公案

「どの師もかつて説いたことのない教えがあるだろうか?」
(p.254)

ふ「この本では、うっかり南泉が「ある」と答えたばかりに話がやけにややこしくなっています。

U「それは心でなく、仏でなく、物ではない。と答えたのですね。

ふ「仏性に立ち入ると極まること限りない話になりますが、これが禅に関する本であれば、あまり詳しいことを書かない方がお互いのためなのですが、この本はゲーデルの不完全定理がテーマの本ですよね、そう思えば、「言葉では表現できない教え」という表現はその教えを言葉で表現している、という自己言及的なところへの突っ込みが足りない。というか、その場でそう書かない理由がよく分からない。

U「公案ラッセルのパラドックスが出てきますか。そう言われてみると不可思議ですね。

ふ「まさかそれもメタな論理として実装してある、なんてヘビメタなことはなさそうですが、

U「ヘビメタ論理?

ふ「結局「禅の核心に迫ることを言おうとしたらしい」みたいな思わせぶりなことを書いてしまったものだから、余計にややこしい。この箇所は、禅的には違うと思います。なぜか分かるでしょう?

U「ラッセルまでヒントに出てきたら誰でも分かりますよ。禅の核心は「言葉では表現できないこと」である。少なくともそのような種類の定義により意味を与えられたクラスから派生した何かである。言ってしまった瞬間にそれは「禅の核心」ではなくなってしまう。従って言うことができない。言うことができないとわかっているモノを言おうとする訳がないから、「言おうとしたらしい」というのは誤り。

ふ「まあそういう所でしょうね。だから南泉、とぼけていればよかった。まあお茶でも、みたいな。無ぅ、でもいい。

U「しかし、そんなことを書いてしまっていいのですか。これから禅をやろうという人の邪魔になるのでは。

ふ「いいんですよ、多分、禅の修業をするのであれば、それを言葉で表現しろという無茶を言われるわけですから。というか言葉で書けないのだから何書こうが平気。

U「そんなものかな?

ふ「それに、禅を極めたいのなら、座禅するだけが禅じゃないです。例えば、プログラマーになればいいのです。プログラムをどうやって作るか考えてみてください。

U「どうって、プログラムはえぐるように書くだけ…でしょう?

ふ「プログラムを書いて、それで終わりですか?

U「そりゃ今だとリファクタリングとかいうのもありますが、その前に基本的にデバッグですかね。

ふ「そうです。プログラム書く。デバッグする。プログラム書く。デバッグする。プログラム書く。デバッグする。プログラム書く。デバッグする。プログラム書く。デバッグする。プログラム書く…」

U「…

ふ「という生活を10年も毎日やっていると、ある日夜中に近くに雷が落ちてフッと電源が切れる。その瞬間、アッ、これなんですねっ、という感じで大悟するのです。おめでとう、これであなたも一人前のプログラマーです。

U「悟らなくてもいいからバグを取ってくれ

ふ「ここであたふたするのがアタフタリング、ということで、冗談抜きに、プログラマーなら死ぬ前に一度は読んでおいた方がいい本だと思いますので。騙されたと思って買って読んでみてください。

U「多分騙されると思います。念のため。かなり難しい本です。本当に買うのなら、覚悟してください。


(※この書評は2006年5月24日に書評: ゲーデル,エッシャー,バッハ あるいは不思議の環: Phinloda の裏の裏ページに投稿した内容を1箇所修正したかったのですがどこを直したかったのか分からなくなって修正に挫折したものです。)

(2017年10月14日訂正 誤「川に着けられなかった」→正「川に浸けられなかった」)


ゲーデルエッシャー、バッハ―あるいは不思議の環
Douglas R. Hofstadter 著
野崎 昭弘、柳瀬 尚紀、はやし はじめ 訳
白揚社 (20周年記念版)
ISBN: 978-4826901253