Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし

今日の本は「「文」とは何か」。

文法の話ということになっていますが、いろんなネタが入っていて、国語の授業でやるような文法とはかなり違っています。特に特徴的なのが第六章から。。チョムスキー生成文法が出てきます。私がチョムスキーを習ったのは多分1980年代で、情報科学形式言語のところで話題が出てきたような記憶があります。

生成文法では、文を基底の構造(深層構造)からの移動と変形で表向きの構造(表層構造)が出来上がると考えられるようになった。
(p.131)

このような説明が日本語の文法の説明に出てくるというのが面白いです。

なぜ日本語の場合、自分がコップを割ったとしても「コップが割れた」と言いやすいのだろうか。これは、認知のモードが関係していると考えられる。私の主観では、私自身は見えない。目の前に映っているのは、コップであり、私自身ではない。よって、コップにだけ焦点を当てた表現を使いやすい。
(p.155)

個人的には、日本語は相対アドレスを使った言語という印象を持っています。英語などは絶対アドレスです。コップが割れたという表現において視点(ポインタ)はコップを指しています。そこが基点で、世界の中心になっているのです。他の諸々は、そこからの相対的な場所にあります。

この現象の典型的な例は「おとうさん」です。家庭の中で子供が生まれたら、父親は母親からも「おとうさん」と呼ばれます。英語では妻が夫を father と呼ぶことはありません。日本語は子供が生まれた瞬間に視点(基点)を子供に変化させるので、子供以外の人からも夫は「おとうさん」というステータスになります。

この日本語の特徴は「は」という助詞にあります。「が」という助詞は格助詞の一種であり、主格を表します。「は」は格助詞ではなく副助詞として扱われています。~は、という時の「~」は主格ではないことになりますが、主題として扱われることになります。

日本語は主語よりもこの主題が発達している言語だ。このため、「主題卓越型言語」と呼ばれている。
(p.98)

年越しにうどんは食べない、の「は」は「を」に置換することが可能です。「を」は目的格を表現していて、主格ではありません。うどんを食べるのは人であって、それが主なのです。

さらに、無助詞を使う文が存在します。ウナギ文と呼ばれているそうです。ウナギ屋で注文するときに何と言うか、という話です。ウナギ屋で注文したらウナギに決まっているだろ、というのはおいといて、この3種類。

俺、ウナギ。
俺はウナギ。
俺がウナギ。
(p.99)

ここのポイントは、「俺、ウナギ」の意味が「俺はウナギ」でも「俺がウナギ」でもないという所にあります。

「俺はウナギ」の「は」には、他の人が違うのを頼んでいるという背景があって、その上で俺はそれではなくウナギ、と主張するようなニュアンスがあります。しかし「俺、ウナギ」にはそのニュアンスが全くありません。だから、「俺、ウナギ」は助詞の「は」が省略された文と同等ではない、ということになります。無助詞という助詞があるというのは今まで知りませんでした。

今日の一言は、あまり深くない話ですが、コレで。

最近では、「違った」の代わりに「違かった」という言葉も使われるようになっている。
(p.161)

ネットを見ていると、違わないことを、違くない、と表現する若者も結構いますね。


「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし
橋本陽介 著
光文社新書
ISBN: 978-4334044886

ある言語天才の頭脳―言語学習と心のモジュール性

今日の本は「ある言語天才の頭脳」。

内容はクリストファさんという言語天才に関する論文集です。

クリストファさんは、出産時、または幼児期に問題があった可能性があり、

1982年、20歳の時に、「水頭症による脳損傷のおそれがあり、失行症と見境がつかないほどの運動協応の重度神経障害」と診断された
(p.4)

という状態です。IQをテストすると平均よりもかなり低いスコアが出てきますが、言語テストをすると、普段使っている英語だけでなく、ドイツ語やフランス語でさえも平均よりも高い得点を取るのです。クリストファさんは20ヵ国語を使うことができるとのこと。なぜ脳に問題があるのに言語だけ高い能力を発揮しているのか。さまざまな考察が出てきます。

この本にはクリストファさんが新しい言語を覚える実験も出てきます。1つはベルベル語。モロッコなどで使われています。もう1つはエプン語。これは言語学の研究のために作られた言語で、実社会では使われていません。クリストファさんはどちらも高いレベルでマスターします。

ちなみに、エプン語の学習実験の結論は、こんな感じで始まります。

クリストファに新造語を教えた理由は、まず第一に、フォダーのモジュール仮説の有効性を支持、あるいは反駁する間接的な証拠を出すためであった。私たちが予測したのは、彼の自然言語の諸現象を取り扱う能力と、言語的には「不可能」だが、論理的には単純な現象を扱う能力の間に不釣り合いがあることであった。
(p.207)

ちょっと何言ってるか分かりません。専門家でないと厳しいです。

私がこの本に手を出したのは言語学の研究をするためではなく、AIに自然言語学習をさせる時のヒントが欲しかったからです。言語の構造モデルや精神モデルの図は参考になりますが、知らない言語の例文がたくさん出てくるということもあり、全体的にハードルが高いです。

 

ある言語天才の頭脳―言語学習と心のモジュール性
ニール スミス 著
イアンシ‐マリア ツィンプリ 著
Neil Smith 原著
Ianthi‐Maria Tsimpli 原著
毛塚 恵美子 翻訳
若林 茂則 翻訳
小菅 京子 翻訳
新曜社
ISBN: 978-4788506756

社会に出るあなたに伝えたい なぜ、読解力が必要なのか? (2)

今日は昨日に続いて、池上彰さんの「社会に出るあなたに伝えたい なぜ、読解力が必要なのか?」から、気になった箇所をいくつか指摘したいと思います。

まず、池上さんの教育観について。

義務教育である小・中学校、さらには日本では99%の人が進学する高校で、誰しも基礎的な知識は身につけているはずです。知識はあるけれども、その運用力が欠けているため「教養がない」と感じてしまっているだけなのです。
(p.83)

これはまず間違いなく違うでしょう。

池上さんの感覚だと高校で学んだことは頭に入っていて当たり前なのかもしれませんが、普通の高校生なら、授業で教わった知識など三日後には頭から消えています。身に付いていないのです。Yahoo!知恵袋の大学受験カテゴリには「2000の2.5割っていくつですか?」のような質問が出てくる、というのが現実です。

もう一つ、安倍首相が「私たちが最も恐れるべきは、恐怖それ自体です」と言ったことに対して。この言葉はルーズベルト大統領の演説が元ネタになっていると指摘した上で、

もし私なら、自分の言葉を織り交ぜながら、「かつてアメリカのルーズベルト大統領は、世界恐慌の最中、これから世界はどうなるのだろうという不安にさいなまれている人々に向けて『恐れなければならないのは、恐怖それ自体です』と呼びかけました、今こそ私たちも……」などと話したいところです。
(p.89)

これは、池上さんらしいレトリックだと思います。聴衆が分かったように勘違いするけど実は分かっていない、印象操作的な表現になっています。

ちなみに「私たちが…」の原文は「the only thing we have to fear is fear itself」です。厳密に訳せば、私たちが恐れなければならないのは、恐ろしいと思うことだけだ、という話です。つまり、ルーズベルトは「恐れるな」と言いたいのです。安倍さんのニュアンスとは随分違いますね。

そもそも「恐れなければならないのは、恐怖それ自体」と言われても、多くの人が理解できないでしょう。分かるという人は、恐怖それ自体を恐れた場合に、それは「恐怖それ自体」に含まれているのかどうかを考えてみてください。含まれますか? それとも含まれていませんか?

何故単純に「恐れるな」と言わないのかと思いませんか、そこがレトリックです。この種のインパクトのある表現は池上さんが好んで使うようです。理解よりも支持を期待しているのでしょう。本当に多くの人に理解して欲しいのなら、宮沢賢治さんのように「コワガラナクテモイイ」と言えばいい。それで通じるはずです。

もう一つ。

新聞を読まない人は「たまに読んでみても、意味がわからない」と言いますが、毎日読んでいればなんとなくわかってくるはずです。
(p.96)

それはわかったうちに入らないと思いますが…。

少し話が変わります。池上さんが勉強を好きになったきっかけに関して。

どうしてこんな勉強をやらなきゃいけないんだ、という不満は感じていました。それでもわからないから勉強を続けて、一生懸命考えているうちに、ある日突然それまでわからなかったことが分かるという経験を何度もしました。受験勉強を通して、勉強自体がだんだん好きになっていきました。
(p.98)

これは良く分かるような気がしました。禅の悟りにも似た構造があります。考えるということが重要です。この種の「分かった」から勉強が好きになった、という話は多くの人が証言しています。分からないことが分かっただけでなく、「分かる」ということが分かるようになった瞬間です。


社会に出るあなたに伝えたい なぜ、読解力が必要なのか?
講談社+α新書
池上 彰 著
ISBN: 978-4065201169

社会に出るあなたに伝えたい なぜ、読解力が必要なのか?

今日紹介する本は、池上彰さんの「社会に出るあなたに伝えたい なぜ、読解力が必要なのか?」。

なぜ必要かというのは言うまでもないと思うのですが、そこはおいといて、数学が得意な人は読解力も高いという話が出てきます。その理由について、

算数や数学が、具体的なものごとと式や図形などに抽象化あるいは一般化されたものごととを行き来しながら考える学問であり、論理的に思考し議論するための力だから
(p.70)

個人的によく使うネタですが、日本語を使って論理的思考をするのが現代国語、数式を使って論理的思考をするのが数学、と考えることができます。読解の根本には論理的思考があります。だから論理的思考力を高めることで数学も国語も得意になる、数学や国語を勉強すると相互に影響しあう、という仕組みなのでしょう。

読解力というのは、読み解く力です。例えば「今日はいい天気だ。」という文を考えてみます。ここに書かれているのは、「今日」という時点において「天気」が「いい」という状態であるということです。読む人がそのことを認識できたら読解は成功です。簡単な話のように思えるかもしれませんが、これができない人もいるのです。

さて、読解にはもう一つ上のレベルがあります。それを書いた(言った)人は、何を伝えたくてそう書いたのか、そこまで考えるのです。「今日はいい天気だ。」と書いた人が必ずしも今日の天気がいいことを伝えたいとは限りません。出会いがしらの挨拶で「今日はいい天気ですね」と言われたら、それは天気を知らせたいのではなくて、挨拶をしたいのです。そこまで理解するというのが高レベルの読解です。

しかし、一般的に、高レベルの読解をするためには、その前段階である文字通りの解釈ができないと話になりません。そこはロジカルが支配している白黒はっきりした世界です。入試問題に出るのはこの読解問題です。相手がどう思っているかというのは流石に断言できないので、問題にはできません。

数学に関しては、慶應大学の話が面白いです。慶應経済は昔、入試科目に数学が含まれていましたが、1990年度前半に数学を受験しなくても入学できる試験方式が追加されました。その結果は、

途端に偏差値は跳ね上がり、慶應の法学部と並び、さらには早稲田の看板学部である政治経済学部を抜きました。
(p.71)

偏差値が上がったのは、数学を勉強しない文系の受験生が殺到したからでしょう。偏差値は学力や能力の指標としてよく使われています。世間一般は、偏差値が高いイコール賢い、というような印象を持っているかもしれません。ところが、

数学を受けずに入ってきた学生たちが入学後の講義についていけないという事態が発生してしまい
(p.71)

偏差値が高い人のはずなのに、講義についていけないという話です。もっと興味深いのが、

数学を勉強せずに入った学生は、部活動の話し合いなどでも「ものごとを論理的に考えられない」ことが周囲にも見てとれるのだと、慶大生から聞きました。
(p.73)

これは数学が論理的思考力を鍛えている証拠と考えていいかもしれません。

ビートたけしさん「(監督業では本名の「北野武」さん)も、「俺の映画づくりには、因数分解の勉強を生かしているんだ」と言われています。
(p.77)

有名な逸話です。因数分解そのものではなく、因数分解的な思考が役に立つということなのです。

(つづく)


社会に出るあなたに伝えたい なぜ、読解力が必要なのか?
講談社+α新書
池上 彰 著
ISBN: 978-4065201169

数学的思考トレーニング 問題解決力が飛躍的にアップする48問

今日の本は「数学的思考トレーニング 問題解決力が飛躍的にアップする48問」。

一通り読んでみて最も疑問に感じたのは、「これ、数学的思考なの?」という点です。

カレーライスを分解してください。
(p.99)

本の解答をザックリ紹介すると、例として出ているのはスパイスとかたまねぎとか水とか、成分を並べているだけです。それって「分解」なのかな、調理法とか考えなくていいのかな、という点でも疑問がありますが、もっと気になるのが、これが数学的なのかという所です。

「休日」を定義してください、という問題もあるのですが、

もちろんここに絶対の正解はありません。100人いれば100 通りの顔があるように、100通りの答えがあるでしょう。
(p.58)

本当でしょうか?

「幸せ」を定義しろというような問題なら100通りあってもおかしくありません。しかし、休日という概念はかなりの共通認識があるはずです。同じ答を思いつく人が多数いてるのではないでしょうか。

もし私が著者なら、実際に100人調査してみて、全員違った回答でなければ「100通りの答えがあるでしょう」とは書けません。そうでないと数学的思考とは言えないような気がするからです。適当に想像して解答とするのであれば、それは数学ではなく芸術的思考のような感じです。だから著者も実際に調査して100人が違っていたというデータを持っているのかもしれません。それならそれでそう書いて欲しいです。

とはいっても、数学的という枠を無視すれば、この本に出てくる発想のパターンは、ありふれているとはいえ、確かにトレーニングにはなると思います。数学的思考ではなくても、ブレーンストーミングに慣れていない人にとっては、効果的なヒントになるかもしれません。

最も違和感があった問題は、これです。

AIにあなたの信用スコアを判定してもらったところ、「55」という結果が出ました。
 さて、一言お願いします。で、あなたは何をしますか?
(p.125)

55と言われてもなぁ…。私なら、スコアを得た時には、まずスコアの計算式、根拠を求めると思います。それこそが数学的思考ではないでしょうか。しかし著者の意見はこうです。

私ならまずこのスコアに最高値(最低値)があるのかどうかを確認します。
(p.126)

最高値や最低値そのものを確認するのではなく、最高値が「ある」のかどうかを確認するというのは面白いと思いました。ただ、なぜそれを確認するかという理由がコレなのですが。

まさに比較する対象を定めることに他なりません。
(p.126)

ちょっと何言ってるか分かりません。

最後に次の問題を紹介して今回は終わりにします。

2020年8月某日、新型コロナウイルス感染症の感染者数が前日比150%、つまり1.5倍となった。あなたはこの結果をどう評価しますか?
(p.133)

今日の感染者数が1.5人は有り得ないので、前日が1人でないことは明白ですね。3人もなさそうです。

てな話ではなくて、ポイントは「新規感染者数」ではなく「感染者数」というところでしょう。

例えば前日の感染者数が1万人なら、今日の新規感染者数は少なくとも5000人ということになります。前日の新規感染者数が分かりませんが、感染したら治癒まで10日かかると想定して、感染した人が1日平均1000人程度が10日の合計で1万人と想像すれば、激増という感じです。

感染者数を前日と比較することにどれほどの意味があるのでしょう。
(p.133)

数学的には差分ですね。増加しつつあるのか、減少しつつあるのか。治癒した人数も分かれば新規感染者数が分かります。

ていうか、何となく話がズレているような気がするのですが、著者は本当に「感染者数」の話をしたいのでしょうか。日本でニュースになっているのは殆どが「新規感染者数」です。現時点の感染者数は殆どニュースには出てきません。

前日との比較で一喜一憂するのではなく、長期的視点での比較が妥当ではないでしょうか。
(p.134)

それはそうかもしれませんが、個人的には新規感染者が前日の感染者数の半数に相当するというのは、何か短期的な異常が発生していると考えてもいいと思います。新規感染者数が前日の1.5倍や2倍なら一喜一憂する必要はありませんが、5倍、10倍となるとくると話が別です。


数学的思考トレーニング 問題解決力が飛躍的にアップする48問
深沢 真太郎 著
PHPビジネス新書
ISBN: 978-4569848358

三男一女東大理3合格! 中学 高校 大学 志望校に一発合格する過去問攻略法

今日の本は「三男一女東大理3合格! 中学 高校 大学 志望校に一発合格する過去問攻略法」。

佐藤ママさんが書いたいわゆる受験本、勉強法の本。入試対策はどうすればいいか、というノウハウ本だ。著者は他にも何冊か本を書いているが、重複した内容が多い。そこは仕方ないと思う。

最初にまとめておくと、こうやったら成功した、という内容だ。こうすれば誰でも成功するという保証もなければ、他にもっといい方法があるかもしれない。それを踏まえて読んだ方がいい。

まず、過去問についてノウハウが出てくるが、個人的にも過去問は重要という点では賛成だ。例えば、

なんとなくでも解いているうちに、その学校独自の出題形式が見えてきます。
(p.30)

人間には学習機能があるので自然にパターンに慣れていくことができる。同じ問題は出ないから過去問をやらない、という人もいるようだが、とんだ勘違いだといいたい。

志望校に不合格になってしまった受験生は、志望校の解いた過去問の数が少ないケースが多いように思います。
(p.30)

著者は塾で教えた経験があるそうだから単なる空想ではないとは思うが、具体的な数字が何も出てこないのが気になる。これだけでは因果関係は不明だが、もしかすると、過去問をたくさん解くと解けるようになるわけではなく、準備が間に合わない生徒ほどできる過去問の数が少ない、という簡単な話かもしれない。

この後、医師国家試験や司法試験に関して過去問が有効という話が出てきて、

過去問を利用するというのは、あらゆる受験において正しい方法論と言えるのでしょう。
(p.31)

ほぼ同意したい。ただ、それは原則に過ぎないから注意も必要だ。

最近これでパニックになったのが共通テスト。過去問が効果的であるための条件は、次も過去と同じパターンで出題されることだ。共通テストはプレテストと初回に比べて2回目のテストのパターンが大きく変わった科目があって、大惨事【謎】が発生している。

高校受験の過去問攻略法に関して、

特に社会など暗記するところは、考える必要はありません。わからないところは、すぐに解答を見てください。覚えていないところに時間を使って考え込んでも意味がありません。
(p.41)

これは異説がある。すぐ見る派と少し考える派が対立しているのだ。

個人的には少し考える派に賛成だ。考えること自体にも意味があると思う。それをやったのがビリギャル。とにかく考えて答を出してから正解を確認している。

分からない問題を考えて解答するのは、実は重要で難しいスキルである。大学で学問をする時には最も重要ともいっていい。確かに高校、大学受験では必要ないスキルかもしれないが、意味がないというのは違うのではないか。分からなくても考える訓練をしないと、そのスキルは身に付かない。

なお、もう一つの「少し考える」メリットは、脳を「わからない」モードにすることで、暗記が強く定着するという効果を狙えること。

この本には、いろんなところで深く考察せずに自分が正しいという結論に持っていく傾向があるように思う。そこは少し考えて読み進んだ方がいい。例えばマークシート

マークシートの用紙を本番さながらに塗りながら解答する受験生がいますが、時間がかかりすぎて無駄です。
(p.42)

マークする練習をすることで、正しく素早くマークするスキルが身に付くと思うのだが。

もう一つ気付くのは、著者が効率をとても重視していること。例えば、子供が食事をする時にも勉強をさせている。試験用のノートを親が作って、子供が食べる時に見せるのだ。親のサポートはかなり本格的なのだ。

子どもは食べながら、ノートを見ているだけです。
(p.55)

これを真似できる親はなかなかいないと思う。親の手間が大変なのだ。

ちょっと面白いと思ったのは、これも効率と関係しそうだが、単語帳のやり方。

真ん中のページから初めて、最後のページを目指すのがコツ
(p.89)
最終ページまでいったら、次は1ページ目から真ん中まで
(p.89)

普通、最初のページからやって挫折するというのが単語帳の使い方だ【違】。途中で終わるのはアレだから真ん中から始めるというのはチートだけど面白い。

数学の試験で計算ミスを避ける工夫も面白い。

4行ぐらい書いたら、1行目から4行目が間違っていないかを確認。
(p.106)

ユニットテストしながら開発するみたいな感じだろうか。


三男一女東大理3合格! 中学 高校 大学 志望校に一発合格する過去問攻略法
佐藤 亮子 著
光文社
ISBN: 978-4334951214

未来のカタチ: 新しい日本と日本人の選択

今日の本は「未来のカタチ: 新しい日本と日本人の選択」。

ざっくり言えば、このままでは日本がエラいことになるよー、的な内容です。カタチという言葉をカタカナ表記した意図が伝わるかどうか。個人的にはどうも理解できた気がしませんが。

どういうことになるかというと、例えば、

日本語をあまり必要としない労働に大量の移民が従事するようになり、定住人口となって増加していけば、後に日本社会は極めて深刻な問題に直面する可能性があります。
(p.20)

ロシアから大量に移民がやってきて住民投票でロシアの領土になる的な話の方が。ありそうな気がしてきました。

それはそうとして、この本にはやや的外れな内容が案外あります。まず気になったのはコレ。

2019年11月、2020(令和2)年度からの大学入試への民間の英語検定の導入が中止になった際、「新制度に備えて準備してきたのに」とか、「無駄な時間を費やした」というような受験生や識者と称される方々のコメントを耳にしましたが、これは実におかしな話です。
(p.34)

おかしいというのはある意味そうかもしれませんが、著者の楡周平さんは実際に新制度に対応するための準備をしたことがあるのでしょうか?

多分、経験した人なら分かると思うのですが、この制度、検定試験を申し込むIDを申請するだけでも恐ろしい手間がかかったのです。新型コロナの給付金どころの騒ぎではありません。どこから試されてるんだ、みたいな。

英語を学習するのは、英語という言語を習得するのが目的であって、
(p.34)

無駄な時間というのはそういう話ではないと思います。英検の場合、対応する勉強ではなく手続きの手間が尋常ではないというのが大問題だったのです。だから、ここの著者の主張は99%的外れだと思います。

新制度に対する準備として大きな問題になったのは、外部委託の話よりも記述式問題が出る件だったと思います。マークシートではなく解答を言葉で書く必要がある、そのための対策が必要だ、という話です。これはこれで「おかしい」のですが。

英語を用いる比重が高まるにつれ、日本語を学ぶ必要性が次第に薄れ、日本語を学ぶことが煩わしくなる。分からないことは「クグればいい」というのと同様、全て英語でいいじゃないかという風潮に繋がるとしたら――。
(p.39)

多分繋がらないですね。これは杞憂か詭弁か妄想だと思います。というのは、日本語はヤメて全部英語にしろという議論は福沢諭吉さんが学問をススメてくれた頃から活発に行われていて、それダメという決着が付いていますから。

ま、一言でいえば、日本語には日本語の圧倒的な良さがあります。だから最近は外国人が日本語を学んでくれることもあります。

もう一つ気になった話を。東京は子供を最も生みにくい都道府県だ、という主張が出てきます。おおむね賛同したいですが、中学受験のあたりから、現実とは違う話が出てきます。

中高一貫校なら、最低でも六年間、ほぼ同額の授業料を支払わなければなりませんし、高校進学時には入学金がかかります。
 いかに東京都民の平均賃金が全国一、他道府県に比べて群を抜いて高いとはいえ、38万400円、年収にして460万円強です。この年代の子供を持つ親は、住宅ローンを抱えている方も多いはずですから、親一人の収入だけでは教育費を捻出するのはまず不可能です。
(p.51)

中高一貫ということは私立の学校に行くことを想定していると思われますが、東京都には私学助成金(私立高等学校等授業料軽減助成金)という制度があり、条件を満たせば私立高校に進学する子供がいる家庭には年間数十万円の補助金が出ます。

国の就学支援金と合わせて、都内私立高校平均授業料相当(年額469,000円、通信制課程は年額258,000円)を上限に助成
(私立高等学校等 学費負担軽減支援|東京都、 https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2022/05/25/22.html )

この助成金の対象となるラインは「世帯年収目安約910万円」ですから、年収460万円なら確実に対象になります。もちろん、高校に通うには授業料以外もいろいろ必要になりますが、かなりの支援になることは事実でしょう。ちなみに住民税非課税の世帯は、さらに支援金が出ます。最低6年間ではなく、3年間頑張れば高校の3年間の授業料はかなり軽減され、平均授業料以下なら無償になるのです。

実際に子供を私立高校に行かせた人なら知っている(はずの)制度なのですが、この情報を伏せて「生みにくい」と指摘するのは不公平な気がします。ガチで知らなかったのなら調査不足です。私学助成金の公式サイトは「高校 授業料 援助」でググれば最初のページに出てくるのです。(ちなみにこの本は2020年発行です)。

もうちょっと日本人は検索力を高めた方がいい、と言う話なのかもしれません。


未来のカタチ: 新しい日本と日本人の選択
楡 周平 著
小学館新書
ISBN: 978-4098253791