Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

顔氏家訓

今日は先日ちょっと名前を出した「顔氏家訓」。ちなみにまだ読み終わっていない。

この本は、

『顔氏家訓』は六世紀末、わが国でいえば聖徳太子の命をうけた小野妹子が遣隋使となって中国に渡った時代、顔之推によって著わされた家訓書である。
(p.3)

というもの。家訓なので不特定多数に公表してあれこれというような意図がない。リアルで実践的な内容は「葉隠」のような印象を受ける。

「第二 教子編」は、子供をいかに育てるかについての家訓である。

五、六歳になったら、体罰を加えることを考えるべきである。父母に威厳があって慈愛があれば、子供は畏れつつしんで、親にたいして孝心を持つようになる。わしが世間の親たちを見たところでは、躾をせず甘やかすばかり。
(p.18)
比及數歲,可省笞罰.父母威嚴而有慈,則子女畏慎而生孝矣.吾見世間,無教而有愛,每不能

もっと幼いときから躾は始まるのだが、、五、六歳になったらいけないことをしたら体罰を加えろという家訓だ。この歳では、何がいいのか、何が悪いのか、理屈では分からない。言っても分からない。だから体で覚えさせておかないと、

ものごころがつくようになっても、それを当然だと思うようになる。
(pp.18-19)
至有識知,謂法當爾

いいことをしなくても、悪いことをしても、それが当然だと考える人間になってしまうというのだ。これは強烈に分かるような気がする。

例えば、今の時代にこれだけ陰湿ないじめが増えているのは何故か。昔の先生は悪い生徒はぶっ叩いたものだ。それが虐待ではなく指導なら、人間は正しく育つ。無理やりカレーを食わせるような大人にはならない。

「第八 勉学編」では、ざっくり言って「勉強しなさい」という家訓なのだが、こんな話が紹介されている。

礼記』には、「独り学んで友がなければ、孤りよがりになって、知識がせまくなる」(学記編)とある。人はたがいに切磋琢磨して向上をはかることが必要だというのである。
(p.81)
禮云:「獨學而無友,則孤陋而寡聞.」蓋須切磋相起明也.

最近、急激に流行しているリモート授業、動画配信のような授業スタイルは便利かもしれないが、この「切磋琢磨」という要素がない。ネットでは、リモート授業の方が効率的だという生徒もいるが、そこを見落としている。独学が怖いのは、書いてあることを自分の解釈しかできない点だ。本に書いてあることは、いろんな解釈ができる。それはディスカッションして、切磋琢磨しないと気付かない。一つの解釈だけでは level up しない。

このような家訓がいろんな切り口、状況に対してのノウハウとして綴られている。逸話もいろいろあって面白い。教訓系の本としては日本ではマイナーかもしれないが、一読していろいろ役に立ちそうな感じがある。個人的に「ふむ」と思ったのは、

文章は生まれつき才能に恵まれないかぎり、けっして強いて筆をとるべきではない。
(p.93)
必乏天才,勿強操筆.

ここで言う文章というのは、今の日本語とはまるで違うものではあるが、今のような誰でも書いて全世界に公開できる時代からみれば、なかなか奥の深いものがあると思う。


顔氏家訓
林田 愼之助 翻訳
顔之推 著
講談社学術文庫
ISBN: 978-4062924771