今日は「大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起」。3回目。
日本の大学における問題がいくつか話題になってくる。まず、昔からの問題として、予算か足りないということ。これに関して、東大を私立大学にして学費を倍にするという案は面白い。
東大の場合、学生がだいたい二万五〇〇〇人いますから、授業料を二倍にすれば、毎年の収入は一〇〇億円以上増えます。
(p.91)
私立にした途端に科研費(科学研究費補助金)とか激減しないのだろうか。国立ということで優遇されている要素があるような気もするのだが、ちなみに 2019年度の科研費は、東京大学はトップの約220億円。私立でトップの慶応義塾大学は約33億円となっている。
個人的には日本の大学は学費で運営するスキームから脱却すべきではないかと思う。その為に何をすればいいのか、と言われると困るが。インターネットをうまく使えば大学を使ったビジネスはいくらでもあるだろう。
教育改革に関しては、この問題。
臨教審以来、三〇年もの間、「考える力」と「創造性」の育成が重要だと言われ続けてきた
(p.93)
今も言われているのだから、未だ育成に成功していないと理解すべきだろう。個人的にはむしろ低下してきたような気もする。昔はルービックキューブは自分で六面揃える方法を考え、ゲームは自分で攻略した。今は解き方を見てその通りプレイするのが当たり前になっている。考えずにクリアするのが上手くなったのだ。
そのような細かい話はさておき、今までやってきたメソッドを捨てて革新的なやり方を進めようとしても、なかなかそれが実現できない。
日本の組織はスクラップ・アンド・ビルドが不得手です。
(p.94)
一度決めたことは変えられない。新型コロナが流行して、海外では感染防止のためにレジ袋を復活させているのに、日本は来月からレジ袋を有料化し、使わないようにしようとしている。
とはいっても、何もかもが変わらないわけではない。例えば、今回のコロナ騒ぎで、リモート授業がかなり浸透してきたようだ。去年まで先進的な大学だので行われていたものが、かなり多くの大学で採用され始めている。その結果アクセスが集中して接続できなかったり、サーバーが落ちたりしているのは笑っていい場面かどうか微妙だが。
学生への対応も徐々に変わってきた。吉見さんがいた見田宗介ゼミの話。
私たちはとにかく見田先生がいようがいまいが議論を続けていましたね。要するに、見田先生はいわば「グル(導師)」でしたから、物理的にその場にいようがいまいが、やはりそこに存在していたのですね。
(p.96)
このような場は、今のように講義に出席しないと単位が貰えない、逆にいえば講義に出席していれば単位がもらえる大学システムになると減っていくのではないか。昔の大学生の話には、講義に全く出てこないで学生寮で激論していたとかいう猛者が出てくる。今の若者は遊ぶために大学に行くそうだから、大学そのものが違ってきたのかもしれない。
アメリカのトップ大学の話も興味深い。
非常に高度化したアメリカの教育システムが生み出しているのは、頭が良く、才能にあふれ、意欲に満ちてはいるものの、その一方で臆病で不安を抱え、道に迷い、知的好奇心に乏しく、目的意識を失った学生たち
(p.98)
そして、大学もそれに対応しようと努力しているそうだ。
リラックスする環境をつくろうということで、学内の庭やホールを借り切って、羊やアルパカのような動物と触れ合えるようにしたり、お香を焚いたりする
(p.100)
何か根本的なところで掛け違えているような気がする。メンタルが弱くなったから弱いメンタルでもいい世界にする。それは、体力が弱ってきたから練習しなくてもできるスポーツを推奨するようなものだ。本来は体力を強化するべきではないのか。メンタルを強化すべきではないのか。
今までは学生の自由に任せる、自主的に好きにやらせる、という方針だったものが、学生の自己解決能力が低下して、大学がその能力を高めることを助けるのではなく、直接面倒を見る方向に流れてしまうと、学生力がどんどん弱くなる。
(つづく)
大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起
集英社新書
苅谷 剛彦 著
吉見 俊哉 著
ISBN: 978-4087211061