今日は菜根譚から「まず自分の心を清らかにしてから学ぶ」。
心地乾浄、方可読書学古。不然見一善行、竊以済私、聞一善言、仮以覆短。是又藉寇兵、而齎盗粮矣。
(p.90)
乾浄は「さっぱりして清潔」とのことだが、不浄な心がないこと。最初のところの現代語訳は次のようになっている。
名誉や利益という心の雑念をきれいさっぱりとぬぐい去って、そこではじめて書物を読み、古の聖賢のことを学ぶことができる。
(p.91)
ビジネスマンが利益のために古典を読むのもダメだということになると、結構キツい話だ。とはいえ、邪念があったら真髄は分からないというのも何となく分かる気がする。どこに視点を置いて解釈するかということが重要なのだ。
「是又藉寇兵、而齎盗粮矣」は
このようなことでは、わざわざ敵に武器を貸したり、盗人に食料を与えるようなもので
(p.91)
ということで、なかなか手厳しい。