今日は菜根譚から「有為転変に流されず」。
毋憂払意、毋喜快心。毋恃久安、毋憚初難。
(p.243)
払意は思い通りにならないこと。うまく行かないからといって憂いてはならない。とわざわざ言うのは、大抵の人はうまく行かないとヘコむからだろう。まあそれは分かるとして、次の快心だ。これは払意と対になっていて、うまく行くこと。そのときに喜ぶなかれ、というのである。現代語訳は
やたらと喜んではいけない。
(p.243)
となっているが、そんなものではなく、単に淡々と「喜ぶな」というだけのことのように見える。ではなぜ喜んではいけないのか、その理由はここには出てこないから自分で考えるしかない。
後半は前半に比べてわかりやすい。久安は平安無事という現代語訳になっている。それを頼りにしてはいけない。危機も想定しておきなさいということだろうか。初難を憚ってはいけない。まあそうだろう、怖がっていては新しいものを生み出すことはできない。となると、やはり毋喜快心に若干の違和感というか、厳しすぎるような気がしてくる。