Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

菜根譚 (9)

今日は菜根譚から「天地いっぱいに生きる」。ざっくり言えば、気持ちの問題という話。

延促由於一念、寛窄係之寸心。故、機間者、一日遥於千古、意広者、斗室寛若両閒。
(p.288)

最初の対は、「延促」が時間の長短。「寛窄」は空間の広さ、狭さ。「一念」「寸心」は心の中。細かいニュアンスは私には分からないが、時間が長いとか短い、あるいは空間が広いとか狭いというのは、その人の気分次第で決まるということ。全ては相対的なのだ。

後半は、現代語訳。

だから、心のはたらきのゆったりとしている人は、わずか一日でも千年よりはるかに長いと思い、気持ちの広い人は、ごく狭い部屋でも、天地の間のように広いと思う。
(p.289)

「機間者」はネットで見ると「機閒者」としているサイトが多いが、今回は講談社学術文庫の表記の通りにした。「閒」はヒマという意味なので、ゆったりという訳になるのだろう。しかし個人的には、ぼーっと生きていると一日が知らない間に終わってしまい、集中していると時間の経つのが速いような遅いような、微妙な気分になってくる。

天地いっぱいといっても、そもそも「天地」という概念が都会に住んでいるとなかなか実感できない。田舎に行って星空を見ると、あまりに広すぎてかえって広さが分からなかったりする。普段の生活で広いとか狭いというのは、マウスを使っているときに10cm四方の空間でもあれば、すごく広いような感じがしたりする。


菜根譚
講談社学術文庫
中村 璋八 翻訳
石川 力山 翻訳
ISBN: 978-4061587427