Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

菜根譚 (3)

今日はちょっと寝ていたりしたので本を読んでないということで、菜根譚から一つ紹介する。「真実の楽しみ」だ。

世人以心肯処為楽、却被楽心引在苦処。達士以心払処為楽、終為苦心換得楽来。
(p.244)

今までと同様の構造にはめ込まれた均整のとれた美しい表現だ。しかし解釈は結構難しい。

世人はこの世の人、ということだが俗人という意味だ。どちらかというと普通の人っぽいイメージ。対比するのが達士で、これは人生の達人のようなイメージである。ヨーダとか、force を使える感じ。現代語訳がこうなっている。

俗世間の人間は、心に満足することをもって楽しみとしているが、かえって楽しみの心に引きずられて苦しい場所においこまれる。
(p.245)

楽しいことは楽しい、まあ当然のことなのだが、楽しいという状態に慣れてくると、楽しみも薄まってしまう。さだまさしさんも、登り詰めたら下るしかないと歌っているが、楽しいということは、その次に来る「楽しくない」という状態への伏線だ。人間の感覚は相対的だからこれは仕方ない。楽しさ10の状態から楽しさ8の状態に変化したら、楽しくないと感じてしまうのである。

道に達したりっぱな人は、世人が満足するものと反対なことを楽しみにしているから、結局は苦しみの心を楽しみの心に交換してしまうことができる。
(p.245)

こっちの解釈が難しい。「心払処」とは何かというと、

ふつう人がいみ嫌い避けるようなこと
(p.245)

ということで、ピンチを楽しむ、というとちょっとズレているような気しかしないが、そう言われてみると先日紹介した「東大生は100点満点を取ると落ち込む」という話はいい所を突いている。失点したら改善できると喜ぶのだ。

ただ、そういう楽しみも、結局慣れてしまったら当たり前で楽しくなくなってくるのではないかと心配だ。相対的な感覚というところから、人間はなかなか逃げられないのだ。本当の楽というのは、楽とか苦とかを超えた別次元のところにあるのかもしれない。

(つづく)

菜根譚
講談社学術文庫
中村 璋八 翻訳
石川 力山 翻訳
ISBN: 978-4061587427