Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

贅沢貧乏 (5)

今日はやっと読破した「贅沢貧乏」からいくつか紹介します。今回で完結【謎】です。

文庫本最後の方の作品は、何となくエッセイっぽい内容なのですが、実は巻末の小島千加子さんによる解説、「言葉の〈永遠〉の美」に出てくるように、

茉莉の当たりの中にある「エッセイ」とは、非常に厳選された文章である。

(p.288)

という前提があるのです。従って、

随筆は書けないが、小説のようなものは書ける、と茉莉が言うのは、謙遜のつもりなのである。
(p.289)

とのこと。だとすれば、エッセイっぽいエッセイというのはかなりスキルアップしたということか、あるいはこれも小説ということでしょうか。てな感じで本題、「道徳の栄え」から。茉莉の日本の道徳観は、

なんともいえなくて子供臭くて、滑稽
(p.280)

と痛烈にぶん殴っています。自分の考えなんて持たず、言われた通りのことしかできない、プログラムされた生物のような印象のようです。異議なしですね。私見としてもう少し細かい皮肉を書くと、個性があるように見える行動が実はシナリオ通り、踊らされている、という感じがします。AI的な日本人。

電車に乗らなくては、大森の室生犀星の家にも行かれないし、好きなバルドオの映画も見られないから電車に乗ると、皆、同じ顔をしている。この人達の頭の中の考えもみな同じだ、と思うと、なんともいえなく退屈になってくる。
(p.281)

吉田拓郎さんの歌にそういうのがあったような。違うかも。

日本の人は、他人のために、学校に入り、就職し、結婚し、趣味を選び、着物を選ぶ。
(p.281)

自分の好みとかどこに行ったという話でしょう。茉莉さんはブリジット・バルドーがお気に入りらしいですね。

もう一篇。「ほんものの贅沢」です。贅沢貧乏というのは贅沢なのか、という疑問がふと湧いてきましたが、それはおいといて、

現代は「贋もの贅沢」の時代らしい。
(p.284)

ちょっといい家電とか揃えてゴージャス気分になっている奥さん、みたいな指摘が出てきます。そういえば私、SONYウォークマンで欲しいのがあるのですが、数十万円で手が出ません。で、スマホでちょっといいヘッドホンをつないで贅沢なつもりになっている、という私はまさにニセモノの贅沢なのでしょう。

それらのいろいろの中に彼女たちの貧寒な貧乏性が現われている
(p.284)

根っこにあるものは隠しようがない。では、贅沢って何かというと、

贅沢な精神を持っていること
(p.286)

なので、

容れものの着物や車より、中身の人間が贅沢でなくては駄目
(p.286)

だそうです。ま、確かにそれは言えましょう。しかし、ボロは着てても心がニシキって人を、どうすれば見分けることができるでしょうか。もちろん贅沢な言動というのが判断材料なのですが、ソレって何だろう。というのがこの本の最初の作品「贅沢貧乏」に繋がっているのであれば、なかなか壮大なストーリーです。最後まで贅沢なのか貧乏なのか分からない。

最後に、巻末の解説に出てきた、中村光夫さんが森茉莉さんの小説を評して、

小説といへるかどうかは別としておもしろい文章
(p.289)

とのこと。「と賞賛した」と続きますが、これは賞賛したことになっているのでしょうか。


贅沢貧乏
森 茉莉 著
講談社文芸文庫
ISBN: 978-4061961845