てなわけで今月はちょっと忙しいので雑記にしたいのですが、雑記のネタがない(笑)ので、今日は「クラシック音楽の歴史」。
99の小話が入っています。100にしなかったのは、
「完全」なものなどない、という意味をこめた。
(p.5、「はじめに」)
だそうです。しかし「はじめに」と「あとがき」があるから、実は101の小話なんですね。ワンちゃんみたいです。
歴史というタイトルですが、中身は蘊蓄話です。それも微妙なネタが多いです。例えば、
作曲家が楽譜を書いた時点で作品は完成するのか、それとも演奏されて初めて音楽になるわけだから、そのときが「完成」なのか。
(p.19、「3楽譜」)
私は打ち込み派なので、楽譜というかデータが完成した時点で音楽も完成という解釈をしたいですね。一度も演奏しなくても、それは音楽なのです。
面白いなと思ったのをいくつか紹介すると、例えばビバルディの四季。
日本人が《四季》を好きなのは、日本に四季があるからだという説がある。
(p.29、「10四季」)
海外ではいまいち人気がないらしいです。はたまた高価なバイオリンとしては有名なストラディヴァリ。その音がいい理由として、
いい楽器だと思って聴くからいい音色と感じるだけという、身もふたもない説
(p.42、「11ストラディヴァリ」)
があるそうです。確かに、いいとか悪いという評価は、人間の脳の感覚で100%決まりますからね。
バッハが音楽の父と呼ばれる理由について、日本だとほにゃららの神様という表現が普通なのですが、
一神教のキリスト教のもとでは、誰も神になれない
(p.53、「16バッハ」)
といわれてみたら、確かにそりゃそうですね。音楽の神といえばミューズですか。
ところで、私が最近たまに聴いているピアノ曲は、ベートーベンの月光の第三楽章と、リストのラ・カンパネラなんですが、
ショパンが自分でいうには、「ぼく(ショパン)の曲をリストが弾くときが最高だ」。つまり、演奏技術ではリストにかなわないとしながらも、作曲は自分のほうが上だとショパンは思っていた。
(p.150、「47リスト」)
なるほど、しかしこういうネタはどこから仕入れてくるんでしょうね。ピアノといえば、グールドは私の好きなピアニストの一人なのですが、
コンサートは音楽を鑑賞するのに最悪の環境
(p.278、「94グールド」)
観客のノイズが嫌、ということだそうです。スマホの着信音なんか鳴ったら発狂したでしょうね。