Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

論語物語

あけましておめでとうございます。昨年は中盤で雑記が続いたので、10月から毎日一冊読んで紹介していましたが、流石に毎日一冊のペースで読むのはともかく、1冊紹介するというのがかなりキツいので、今月からサボろうと思っていますが、今年の一冊目は、下村湖人さんの論語物語。

私が読んだのは小学館文庫の方なので、ページ数はそちらのものとなります。

孔子の教えは論語にまとまっていますが、この本は論語に出てくるエピソードをストーリー風に書き下ろして読みやすくしたものです。原文にない登場人物の心情が具体的に表現されているので、その分、想像力は制限されてしまいますが、主にそれは孔子の弟子の心情として追加されているので、読んでいると孔子に比べて弟子がどれだけ理解力に乏しいかと誤解してしまいそうです。

例えば最初の話「富める子貢」では、子貢は貧富の拘りを捨てられない弟子の役目です。捨てられないといっても、富に拘るというのではなく、富に拘らないように気を遣って生きるという、窮屈な人物として描かれていて、孔子は、拘らないように気をつかうのは拘っている証拠だというのです。

貧富を超越するということじゃが、それはけっきょく、貧富を天に任せて、ただ一途に道を楽しみ礼を好む、ということなのじゃ。
(p.15)

ネットの若い人達の書いていることを見ていると、まず気になるのは何も夢がない、希望もない人が多いこと、次には、金持ちが偉い、年収が多い方が偉い、高年収の企業に就職することが人生の目的になっているような人が多いことが気になります。貧富以前の問題なんですが、これは本当の「貧」が日本からなくなってしまったのが原因でしょう。。

「自らを限る者」では冉求という弟子が出てきます。

しばらく教えをうけているうちに、彼は一つの疑問にぶッつかった。それは孔子の学問が、最初自分の考えていたのとちがって、なんだか実用に適しないように思えることであった。
(p.48)

冉求(せんきゅう)は仕官に有利になるという目論見で孔子の弟子になったのですが、どうも孔子の教えがそれとはズレているというのです。それで、教えの通りになれないのは、自分に力がないからだと考えるのですが、それを孔子が怒ります。

ほんとうに力があるかないかは努力してみた上でなければわかるものではない。力のない者は途中でたおれる。たおれてはじめて力の足りなかったことが証明されるのじゃ。たおれもしないうちから、自分の力の足りないことを予定するのは、天に対する冒瀆じゃ。
(p.53)

これで冉求は悟るわけです。

このような話が、孔子が亡くなるまでの物語として多数書かれています。旺文社文庫版では、それぞれ、原文となる漢文とその書き下し文、解説が付いています。私は読まなかったのですが、これは高校生の時に読んでおくべき本でした。


論語物語
下村 湖人 著
旺文社文庫

講談社学術文庫
ISBN: 978-4061584938