今日は西尾維新さんの人類最強シリーズから「人類最強の純愛」。エピソードが5編入っています。
最初の話は「人類最強の熱愛」、前作で宇宙服を開発した喜連川博士の話です。この博士、どんな性格なのかというと、
いかに役に立たない無駄な妄想を、いかに実現させるかに命をかけているような研究者
(p.29)
いかに喜連川博士がマッドサイエンティストでも、自分の孫娘を実験台にするか? ……それはするだろう。
(p.37)
「遊び半分? 違うな。全部遊びだったよ――喜連川博士にとっては」
(p.55)
いやな予感しかしない。この博士が自分の記憶を全部ホムンクルスにコピーして、5歳の幼女の姿で出てきます。しかし西尾さんは幼女好きだな。この幼女は自分が喜連川博士なのに、元喜連川博士のことを「おじいちゃん」と呼んでます。ややこしい。
さて、今回の潤、もちろん仕事を請け負うわけですが、この話では大したことはしません。事件が勝手に解決するみたいな。最初の方の喜連川博士の弟子、示際祭とのバトルは割と面白いです。あとはいろんなトークですね。基本、西尾さんの小説は言葉遊びですから。言い切ってしまっていいのかな。といいつつ、言葉遊びではなく深い言葉を。
実は世界なんてとっくに終わっていて、あたしはそれに気付かず生きているだけなんじゃないかって思うことがある
(p.45)
これは割とよくありますね。実は自分はどこかのプログラムで動いている NPC で、誰かリセットを押したら一瞬で消滅するんじゃないか、とか。ちょっと違うか。
人間が想像しうる出来事はすべて、世の中で起こることだ…
(p.45)
これ、何かのCMでありましたよね、誰の言葉だっけ。この言葉を見る度に、うっかり人類滅亡を想像してしまうのですが。
「熱愛」のオチは、オチとしてはいまいちなので省略しますが、途中に出てくる、世界を滅ぼすスイッチの話が面白いです。潤に、そういうスイッチがあったらどうするかと質問すると、
人が押そうとしていたら、止めるだろうな。だけど、自分の手にあったら、絶対に押さないとは言いにくい……。
(p.64)
世界を終わらせたいのではなくて、どうなるか確認したいというのですが、それで確認して滅亡しました、というので本当にそれが望んだ結末なのか、いまいち分からない。でも、これは何か分かるような気がするのですよね。他人がやるのを見てるのはイヤだが、自分で決めろといわれたときに、やらないかというと、そこは分からない。
ここで一旦切ります。
(つづく)