Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

iレイチェル: The After Wife

この本はタイトルがよくない。こんなタイトルだと、タイトルを見た瞬間にシナリオが想像できてしまう。私はこのタイトルを見た時点で、この小説がレイチェルという人をコピーしたAIを作る話だということを一瞬で想像できたし、実際そういう話だった。

もっとも、iレイチェルというのは出てくるアンドロイドの名前だ。説明するまでもないが。なので、仕方ないといえば仕方ない。

そのロボットは自分のことをそう言ったの。アイ・レイチェルって。〈アイポッド〉とか〈アイフォン〉みたいだよね。
(p.184)

そういう意図でiという文字を先頭に付けたのかもしれないが、「i, Robot」という小説を読んでいるプログラマーはそんなに回りくどい解釈をしなくても、アレかという感じで認識してしまうだろう。アイ・レイチェルのソフトウェアを実装したのはオリジナルのレイチェルという女性で、話が始まったら30ページも進まないうちに死んでしまうのである。

ハードウェアを作ったのはルークというエンジニアで、一言でいえばコミュ障だ。エンジニアにはありがちな話だ。エンジニアがコミュ障というのはステレオタイプだという人もいるかもしれないが、私の経験ではソレは現実だ。機械やコンピュータと会話することを日常生活にしすぎて、人間とのコミュニケーション方法を忘れてしまうのだ。このルークの性格は、

自分よりも知的レベルの劣るやつの相手をするのは、時間の無駄以外のなにものでもなかった
(p.148)

という感じなので容易に想像できるだろう。ルークはアイ・レイチェルの共同開発者だから、全篇にわたって出てくるキーマンである。このルークと共有感覚が持てるかどうかというのが小説にハマれるかどうかのポイントだと思う。

ではレイチェルはどんな「人間」だったかというと、

レイチェルは一を聞いて十を知るタイプだ。何か問題が起きると、あっという間にその問題の細かい部分まで把握し、瞬くうちにありとあらゆる角度から可能性を検討し、充分な裏づけに基づいた決断をたちどころに下してしまう。
(p.157)

一言でいえば天才だ。そして、全てはロジカルに思考する。判断の根拠はフィーリングではなくロジックである。

レイチェルはアイ・レイチェルをケア業界に使おうとしていた。メンタルケアにも対応できる介護ロボットである。なぜそのようなモノを作ろうとしたのかは、レイチェルがアイ・レイチェルにセーブした音声データの中で説明されている。

だって、生身の人間って当てにならないじゃない? 不親切な人もいるし、誠実さに欠ける人もいるもの。でも、この理想のロボットなら裏切られることがない
(p.119)

もちろんレイチェルがそう判断したのはロジカルな根拠があってのことだろうが、ロボットが裏切らないと確信しているというのは大したものである。「I, Robot」に出てくる例を紹介するまでもなく、知性を実装した機械は人間にとって想定外の行動を起こす。想定外といっても、今までの人類の歴史を紐解けば全て想定できそうな行動に限られているのだが、それでも人間は想定しないのだ。私などだと考え方が薄っぺらいから、裏切ることを知っている人間が学習させたAIは裏切る能力を持つだろう、と想定してしまう。まずそこが出発点なのだ。とにかくレイチェル・プロスパー博士は、

あなたの感情表現に反応して、あなたが必要としているものを提供できる、そんなロボットを造りたい
(p.120)

と思ったわけである。

さて、このメッセージをアイ・レイチェルから聞いたのは、レイチェルの夫、エイダンである。エイダンは研究室に行って、妻と全く同じ造形のアンドロイドに対面してそれを聞いたのだ。エイダンはフットホールドというところで労働者支援の仕事をしている。

ストーリーは老人問題も背景にしながら進む。エイダンの母親のシネイドは認知症を発症しているのだ。エイデンが母親の家に子供と二人て行ったら食事が4人分用意されている。

「母さん、今日はぼくたちのほかにも誰か来ることなっているの?」

レイチェルが死んだことを忘れているのである。覚えられないのだ。エイダンはその予兆に気付いていたが見て見ぬふりをしていた。現実を認識するというのは怖いことだ。シネイドは認知症の進行からボヤ騒ぎを起こして入院してしまい、一人暮らしをさせるのは危険なので、退院するときにエイダンの家に連れて帰ることになる。そこでアイ・レイチェルと出会ったときの第一声がこれだ。

「こんにちは。あなたは看護師さん?」
(p.380)

その後、何の変哲もない普通の会話が続くのだが…

「気づいてないよ」とクロエが囁き声で言った。
「気づいてないって、何に? アイ・レイチェルがロボットだということに? それともレイチェルにそっくりだってことに?」
「どっちにも!」
(p.381)

シネイドは真夜中に起きてきて「このホテルはいや」のようなことを言ったりするのだが、アイ・レイチェルはどのようなことにも最適な行動を取ろうとする。

「これもアルゴリズムですから」
(p.400)

そんな言い方をして話が通じる人間は滅多にいないような気はするが。シネイドがアイ・レイチェルとすごくうまくやっている、というのが面白い。理由もハッキリしていて、

この看護師はいつも落ち着いている。わたしに腹を立てたりもしない。わたしがことばを忘れても、食べ物を残しても、夜中に家の中を歩きまわっても。
(p.435)

しかしシネイドは、アイ・レイチェルが歌を聞いて悲しそうな顔をしていることを不思議だと思う。二人はアイ・レイチェルが不完全な状態であるがゆえに偶然うまく行っているようにも見える。このシーンに出てくる歌は、トーマス・ムーアの The Last Rose of Summer で「夏の名残のバラ」という邦題が付いている。日本では「庭の千草」として知られている。

Charlotte Church さんの歌をリンクしておく。

Charlotte Church - Tis The Last Rose Of Summer (Live From Jerusalem)

最後に、アイ・レイチェルアがした秀逸な質問を一つ宿題にして、今回はおしまい。

「自分が何かをしたいと思っていることは、どうすればわかるのでしょうか?」
(p.281)


iレイチェル: The After Wife
Cass Hunter 原著
キャス ハンター 著
芹澤 恵 翻訳
小学館文庫
ISBN: 978-4094064766