Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

復員殺人事件

今日は坂口安吾さんの「復員殺人事件」。この推理小説は途中で絶筆となっており、後半を高木彬光さんが繋いで完結となっています。文庫本巻末には、江戸川乱歩さんの「序」と、高木彬光さんの「あとがき」が掲載されており、ちょっとした裏話が出てきます。

作品は純粋な本格推理小説です。舞台は倉田家。ここで殺人事件が起きます。復員殺人事件というタイトルは、最初に殺された安彦が倉田家から出征して戻って来た復員兵なので。

時代は、

終戦の年から二度目の八月十五日を迎え、やがて秋風の立つ季節になった。
(p.7)

という頃です。しかし、途中で何度かまだ起こっていない事件の話とか出てくるところが脱力できて面白い。

登場人物で面白いのは巨勢博士。この人が探偵役です。警察側は大矢警部。コツコツ地道に調査するのが得意です。警部はこんなことを言います。

あらゆるムダ骨を克服することによって、われわれは真理に近づくことができるのだ
(p.102)

なかなかの名言です。

さすがに腕一本でたたきあげた人物はうまいことをいう。あらゆる専門家には、共通した職業のコツがある。芸術の世界でも、ピカドンの世界でも、変りはない。あらゆるムダ骨に負けず、ということである。
(p.102)

一見無駄のように見える単純作業の繰り返しが職人芸を作るのです。これに比べると博士は何か軽いですね。

安彦は戦争に行く前に、妹の美津子に日記を手渡します。この時、聖書の話が出てきます。

包み紙の表紙に、マルコ伝第八章二十四と大きな字でハッキリ書いてあったというのです。マルコ伝第八章二十四と申しますのが、つまり、人を見る、それは樹の如きものの歩くが見ゆ、という文句なんですがね。そこで犯人を見た、という謎じゃないかというわけなんですが
(p.29)

包み紙というのが、日記を包んだ紙なのですが、復員殺人事件に福音書が出てくるというのも面白い。

もう一つ興味深いと思ったのが、食欲の話です。

この話、安彦は復員してすぐに家に戻ってこないで、しばらく熱海でうろちょろした挙句に家に帰って来た。それはニセモノの証拠だというのです。安彦が本物なら、家の食事に魅かれてすぐに帰宅するか、あるいは嫌なら二度と帰ってこないか、どちらかだろうと。そのスグに帰宅する理由は、倉田家のグルメな食事を食べたいから、というのです。

戦後まもなくの食糧難の時代ですから、食べるものに執着する度合いも今とはまるで違うのでしょう。食べたいという欲求は強烈なもののようで、

そして、人生の計算も、帰するところは、生死を本としての損得勘定だ。限られた時間内に於ては、恋愛の情熱が死や食慾を越えてもっと強烈なこともあるが、これは時間的な問題だ。
(p.167)

とかいう。「生死を本」というのが、今の日本のような生きるのが当たり前の世界ではピンと来ないのではないか。

博士と警部の関係は極めて良好ですが、倉田家のメンツはドロドロの人間関係で、宗教も混ざってヤヤコシさに輪をかけた状態のところで、プロボクサーで犯人だと疑われている定夫がフグに当たって死んでしまいます。しかも、ここまで書いたところで坂口安吾さんが亡くなってしまった。というようなお話です。

そこから始まる後半の謎解きが流石ですが、本人が最後まで書いたらどうなったのか、もはや神のみぞ知る世界です。

 

復員殺人事件
坂口 安吾
河出文庫
ISBN: 978-4309417028