主人公のミチルは盲人、見えなくなったのは大人になってからだ。強い光があるときに明るさを感じる、程度の感覚しかない。父が亡くなった後、一人暮らしを始めた。その部屋にアキヒロという他人がこっそり入り込む。作者のあとがきにはこう書いてある。
この本は、「警察に追われている男が目の見えない女性の家にだまって勝手に隠れ潜んでしまう」という内容です。
(p.258)
アキヒロはいわゆる根暗。コミュ障ではなく、意図的にコミュニケーションを拒んでいる感じである。
周囲が何かの話題で弾んでいても、会話に加わりたいと思わない。会話の中身にも興味が湧かない。
(p.31)
この性格のせいで、職場では仲間外れになっている。パシリのような立ち位置で、もちろん楽しいわけがない。会社に行くのが苦痛である。しかし我慢して出勤している。ある日、喫煙所で皆が自分をハメる相談をしているところを立ち聞きしてしまい、そこから出てきた若木という新入社員とばったり出くわす。バレた思った若木は焦るのだが、わざわざアキヒロにさりげなく怒ってるかと訊いたところが、
殺したいと思っている
(p.40)
なかなか過激だ。これが後でややこしいことになっていく。
アキヒロはミチルの家にこっそり入り込む。ミチルには姿が見えないので、アキヒロが目の前にいても、気配を消していれば気付かれずに済むのだ。よくこんな話を思いついたものだ。まさか実話ということはないような気がするし、盲人の感覚というのは尋常ではない鋭さがあるから、実際にそんなことをすると一瞬で気付かれてしまうような気がする。
ミチルが外出して、自由に家の中を動き回ることができても、アキヒロはほとんどの時間、居間の片隅に座っていた。
(p.72)
みたいな生活が続いて、食事とかは、冷蔵庫からこっそりとちょっとずつ失敬している。ちょっとずつだと気付かないと思っているのだが、実はミチルは気付いている。
いつのまにか自分の知らないうちに、食料が減っているような気がするのだ。
(p.87)
最初は動物か何かと思っていたのだが、人間だとかなり怖い。
もし自分がだれかにこのことを知らせようとしているのがわかれば、急に乱暴な行動をとってそれを阻止しようとするかもしれない。
(P.89)
ということで、何となくおかしいと思いつつ気が付かないフリをしている。この微妙な緊張感が続いていくのがこの小説の面白いところ。ミチルがいろいろ罠をしかけるので途中で完全にバレてしまうのだが、それでも二人とも黙っている。
二つの皿の温かいシチューが、テーブルの上で湯気を立てている。
(p.127)
ミチルは、誰か分からないがそこにいる人と一緒に食べようと、シチューを二人分作ったりする。バレてしまったら仕方ないのでアキヒロも無言で食べる。でも会話はしない。
自分でない他人がいるのだということを、なかったことにはできない。お互いがお互いをいないことにすることなどできなかったのだ。
(p.128)
最後はちょっとしたミステリになるのだが、全てクリアになったところで、アキヒロがなぜミチルの家で微動だにせず隠れ続けていたのかを説明する箇所がある。
つきあいのない人間から否定されることは、すでに中学のときから学んでいた。しかし彼女からもそのような態度を見せられることが、どんなに自分を絶望させるかわからない。その様を幾度も想像して震えた。
(p.254)
自己主張したときに拒絶されたくない、という単純な理由なのだ。それまで学校でも職場でも周囲から浮いていた、どこに行っても拒絶されていた人間が、ここでだけは拒絶されたくないという考えに至ったのは、
必要なのは、自分の存在を許す人間だったのだ
(pp.254-255)
そこにやっと気づいたから、ということになっている。確かにそれはなかなか見つかりそうで見つからないものかもしれない。家族ですらそうでないようなケースだっていくらでもあるだろう。家族というのは最初に出会う他人なのである。