今日も疲れたのでパスしたいのですが、雑記ばかり続いているので、この前紹介した山本周五郎さんの本の後半、「むかしも今も」を紹介します。
これもなかなかキツい話です。主人公の直吉は運のない男で、
ごく幼いころ両親に死なれ、九つまで叔父に育てられたのであるが、そのじぶんから気性の強い叔母に、のそのそしているといってはよく折檻された。
(p.223)
今だと虐待とかいって保護されるのでしょうか。しかしこの家もどうにもならなくなって、直吉は記六という指物師に預けられ、職人としての修行を始めることになります。のそのそとした性格はそのままで、なかなか出世できません。ていうかパシリにされてしまいます。
親方には、まきという娘がいます。まきは直吉と一緒に育つのですが、親方が死ぬ直前に、もう一人一緒に育った清次を婿にしてしまいます。この清次が博打好きで、親方が死んだ後、店はほぼ潰れたも同然、清次は逃げ出してしまいます。しかし後に残された直吉とまきは頑張ります。
人間は金持ちでも貧乏人でもみんな悲しい辛いことがあるんだ、昨日までの旦那が今日から駕舁きになるし、飲みたいだけ酒を飲んでぴんぴんしていた者が、急にお粥も喰べられない病人になっちゃうんだ、
(pp.231-232)
生活が貧乏になると、周囲の人も皆貧乏で大変です。近所に住む倉造という男は足を怪我して一年も寝込んでいます。女房のおいとが内職で何とか暮らしていますが、とうとう倉造が死んでしまったときのおいとが、こんなことを言います。
「病人も楽になれたしあたしもこれで息がつけます。薄情なことを云うようだけれど、もうあたしは精も根もつきはてましたからね、本当にこのほうがよかったんですよ」
(pp.287-288)
皆楽になれてよかった、というのです。
そういった生活の中で、まきは目が見えなくなってしまいます。直吉は蜆を取りに行きます。蜆は目の薬になると言われていたらしいです。
「赤羽橋の上にひととこあるんですって、寒のうち、あの川でとれるのは眼の薬だって、昔から云われていたそうよ」
(p.353)
昔は赤羽橋のあたりで蜆が取れたのですかね。貧乏ながらも、助けたり助けられたりして生きていく、そういう物語ですが、貧しいからといって不幸だというのではない。
苦しいときは苦しいようにする、貧乏な者は誰に助けて貰うこともできねえ、みんなそうやって小さいうちから自分で、生きることを覚えてゆくんですよ、聞かないつもりにしていておやんなさい、そのほうが却って人情というもんですよ
(p.356)
そのあたり、奥の深い物語です。店が落ちぶれて食べるものにも困り、目も見えなくなってしまう。どこに幸せがあるのかと思うかもしれませんが、それも人生だというのです。そこに幸せを感じられるかどうかは本人の気持ち次第なのです。