今日はグダグダなので書くパワーがないので雑記レベルになりそうですが、先日紹介した「生贄の木」で書きそびれていたことを付けたします。
今回のゲスト役のココは孤児になってしまい、巡査部長のマロリーに懐くのですが、最後に養父母を希望する夫妻が現れて、マロリーは身を引きます。この後、ココが夫妻に初めて会った時に、自分を全力で売り込みます。
ココはすぐさま――仮に心からのものでないとしても――大きなまばゆいほほえみを浮かべ、ネズミが線ペストのキャリアーであることをハーヴェイ夫妻に教えた。つぎに彼女は、音楽室のピアノのところに駆けていき、弾き語りで一曲披露した。それから、踊るように居間に戻って…
(p.558)
ドラマの企業の営業部とかのシーンには上司が変わると必死で媚びる部下がいますが、何となくそのようなことを想像してしまいます。8歳の子供が生き延びるために自分をアピールするというのが、フィクションにしてはいやに生々しいのです。
この後にホタルの話が続くのですが、このあたりの数ページは何度も読み直してしまう、個人的にはクライマックスのシーンだと思っています。
格差の描写もリアルです。
ソーホー署を訪れたその中年男は、優しい笑顔の持ち主で、髭はきれいに剃ってあるし、衣類も洗濯したてなのに、ホームレスのにおいがした。ミスター・アルバートは長年、貧民中の貧民に食事を出す無料食堂を運営しており、いまではにおいも彼らと同じになっているのだった。
(p.176)
出てくる人の中には大富豪や億万長者も多いのですが、貧しい人はとことん貧しくて、両極端な世界なのですが、ニューヨークというのは確かにそういう町なのかもしれません。日本というのはそういう点ではどうなんだろ、というのはちょっと気になりました。
生贄の木
キャロル・オコンネル 著
務台 夏子 翻訳
創元推理文庫
ISBN: 978-4488195182