Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

少女パレアナ

最近何冊か読んだ本があるので、そろそろ紹介しないとブログの読者(いるのか?)が離れていってしまうので、という感じで紹介します。今日は「少女パレアナ」。

エレナ・ポーターさんの作品で、発表されたのは1913年。100年以上前のことです。この作品は発表された当時から大好評だったといいます。日本では「愛少女ポリアンナ物語」というタイトルでアニメ化されています。

パレアナは11歳。母が死に、牧師の父が死んで孤児になってしまい、母の妹であるミス・バレーのところに引き取られます。

この物語の根幹にあるのが、パレアナの遊びです。

ゲームはね、何でも喜ぶことなのよ。喜ぶことをなんの中からでもさがすのよ。
(p.42)

このゲームのきっかけは、

あたしがね、お人形を欲しがったもんで、お父さんが教会本部へ頼んでくだすったんですけどね、お人形がこないで松葉杖がきちゃったの。
(p.42)

何で松葉杖? 理解を超えた謎の世界なのですが、普通、子供ならそれは悲しいことでしょう。ところが、松葉杖をみた牧師さんは、パレアナが杖を使わなくてもすむのが嬉しいことだ、と喜んでみせます。これはキリスト教的な考え方だと思います。パレアナが後に悩んでいる牧師さんと会話するシーンがあります。

お父さんは、うれしいといつでも言ってましたけど、たいていそのあとで、聖書に喜びの句がなかったら、一分だって牧師なんてしていられないって言いました
(p.195)

聖書には喜びなさいという表現が800回も出てくるというのです。悩んでいる牧師さんは、次の説教で信者たちにガツンと厳しいことを言おうと考えていたのですが、これで気がかわります。

絶えず相手の欠点を責めるかわりに長所をあげて誉めるのがよい。悪い習慣の型にはまり込んでいるのを手を貸して引っ張りあげるのだ。
(p.198)

このように、パレアナが他の人と話す度に、気難しい、偏屈な人達が、明るく優しい人に変わっていきます。何をされても文句を言うスノー夫人。誰とも話をしない大富豪のジョン・ベルデントン。パレアナは意識せずにそれをやってしまうのが面白いところです。例えばミス・バレーはパレアナに何度も罰を与えるのですが、その都度パレアナは喜んでいるので、何をやっているのか分からなくなってしまうのです。

パレアナが孤児のジミーを誰かに引き取ってもらおうと尽力するシーンがあります。しかし、誰も助けてくれません。教会の婦人会に助けを求めるのですが、婦人会は身近にいる孤児ではなく、インドに寄付金を使ってしまいます。

無理もないさ。知らないもののほうが知ってるものよりよく思えるのさ。取れないところにある芋か一番大きく見えるのとおんなじさ。
(p.119)

ジミーも最初は超絶暗いキャラでしたが、パレアナの影響でさばさばしたものです。

そうやって町の人がどんどん変わっていって、ハッピーな話で終わるのかと思ったところで、

学校から急いで帰る途中、まだだいじょうぶと思って道を横切った時に、まっしぐらに走ってきた自動車にぶつかりました。
(p.203)

最近、とんでもないところで人が轢かれるニュースが毎日のようにあるようですが、パレアナはこれで下半身不随という重傷を負ってしまうのです。そして物語は遠くの病院に治療に行ったパレアナの手紙で終わります。

あたし歩けるようになりました。今日は寝台から窓まですっかり歩きました。六歩です。歩けるというのは、なんてうれしいことでしょう。
(p.279)

同じことであっても、6歩しか歩けないと解釈するのと6歩も歩けると解釈するのとでは天と地ほどの違いがあります。不平を習慣にしている人はどんなに人生を無駄に過ごしているか、思い知らされる作品です。

(引用の頁数は昭和37年発行の角川文庫版によるものです)

 

少女パレアナ
エレナ・ポーター 著
村岡 花子 訳
角川文庫
ISBN: 4-04-221201-8