何か勢いで読んでますけど、今日も耳袋秘帖から「妖談さかさ仏」。以前の話に出てきた仏像専門の泥棒、仏像庄右衛門の話です。
既に捕まっていますから、打ち首の前に脱走するところから話が始まります。今回のゲストは小力という芸者。美女のようですが、
あたしなんか、いつ、この世から消えたってかまわない女なのです
(p.42)
てな感じでちょっと病んでいます。理由は作品中に出てきますけど、まあ運命というか、個人的には、これは仕方ないと思いましたね。小力は十四で子を産んで、三歳で亡くしているのですが、子供が泣くので怒ったという話が、
いま思えば、泣く理由があったから泣いていたのに、なくんじゃないと、また怒ったりして
(p.252)
子供が泣くのはコミュニケーションの手段ですからね。
仏像庄右衛門は、最後に大仕事をするときに、何かおかしい、誰かに操られているような気がしたところまでは鋭かったのですが、
だが、しょせん人のすることなんていうのは、そんなものかも知れなかった。
(p.282)
結局全部踊らされていた、というのはよくある話ですね。一番上で操っているつもりの人すら操られているとか。今回はこの種の「人生なんて…」的なセリフが目立ちます。例えば、
人はこうして、何かを待ちつづけるのが人生なのかもしれない。
(p.173)
哀れなのさ、人は。みんな、どれだけの嘘っぱちにしがみついて生きているか。
(p.248)
こんな感じですね。まあそれがリアルな現実なのかもしれませんけど。
ところで、この話は切支丹が初回から微妙に絡んでくる構成になっているのですが、
まりあ地蔵と呼ばれるものらしいな
(p.263)
隠れキリシタンの話は先日のリュートの話でも出てきましたが、各地にどの程度隠れていたのかというのは、ちょっと気になります。まりあ地蔵なんて名前を付けたらバレバレのような気もするのですが。ところで、今回出てくる俊海という坊主がいますが、これが、仏をさかさにする系の坊主【謎】なのです。
「でも、御仏をさかさにする、そうすることで、これまでご利益のなかった人たち、仏さまの目が届かなかった人たちにまで、慈悲が与えられると。上からではなく、下からも光が当たるのだと」
(p.256)
これが「さかさ仏」の由来なのですが、ご利益のなかった人たちというのが、キリシタンを意味しているようです。何かこじつけっぽい気もしますが、上下逆にするという発想はかなりインパクトがありますね。罰があたらないか心配になります。
妖談さかさ仏
風野 真知雄 著
文春文庫
ISBN: 978-4167779047