今日は「ヴェニスに死す」を死ぬところまで読みました。つまり最後まで読みました。
解説には次のように書かれています。
『トニオ・クレーゲル』では、主人公は今挙げた幾組かの対立概念のうち、後者に縋ってかろうじて自己の文士としての生活を支えて行くが、『ヴェニスに死す』においては、主人公はこれらの対立概念の前者のために敗北し、死んで行く。
(p.257)
前者と後者というのは、この直前に、
「生」と「精神」、「市民気質」と「芸術気質」、感情と思想(『ヴェニスに死す』中の言葉)、感性と理性、美と倫理、陶酔と良心、享受と認識
(p.257)
と書かれています。「ヴェニスに死す」で確かに主人公のアシェンバハは乾性コレラで死んでしまいます。
この場合、肉体は血管から多量に分泌される水分を排出することさえできない。わずか二、三時間のうちに患者はひからびて、瀝青のように濃くなった血液のために、痙攣としわがれ声の叫びのうちに息が絶えてしまうのである。
(p.232)
何で死んでしまうのか分かりません。いや、もちろんコレラで死ぬわけですが、コレラで死なないといけない理由が謎なんです。タドゥツィオという少年への恋のためというのは分かりますが、後を追いかけて行って結局声をかけられず追い抜いてしまうようなことをしておいてから、
物笑いになることをひどく恐れた。
(p.201)
というチキンハートの持ち主が、狂乱的に一瞬で死んでしまうというのが何か不自然で非合理的な感じがするのです。まあでも人生というのは本来そういうものなのだ、といいたいのかもしれません。タドゥツィオは美少年とのことですが、イメージとしては風と樹の詩のジルベールみたいな感じでしょうか。だったら全力でストーカーのように追いかけようが、どのみち勝ち目はありません。
トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す
トーマス マン 著
Thomas Mann 原著
高橋 義孝 翻訳
新潮文庫
ISBN: 978-4102022016