Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記 (4)

今日で「みんな彗星を見ていた」は最後になります。日本のキリシタン迫害は、江戸時代だけの話ではないそうです。

明治に入ってもなおも続いた迫害は広く知られているとはいいがたい。
(p.277)

郡崩れの話は先日紹介しましたが、その後の迫害については文献が残っていないそうです。その理由を筆者の星野さんは次のように想像します。

外国人司祭が死に絶えたあとに起きたことを、積極的に伝えようとする者が誰もいなかったから
(p.293)

確かに、おおっぴらにしたくない史実をわざわざ公式に記録しようとする人はいないでしょう。庶民の手紙のようなものが残っていたら事実が分かるのかもしれません。もし今のように誰でもツイートできるような時代だったら、どんな話が残っていたでしょうか。

いずれにせよ、以前紹介したように、キリシタンに対する本格的な差別が始まったのは明治以降だといいます。四民平等という言葉もあるように、明治は差別が撤廃され始めた時代というイメージがありそうですが、キリシタン迫害に関してはそうではなかったのですね。

キリシタン宣教師が民衆の貧富の差に関して書いたものが残っています。

彼らはわれわれを、深い慈悲をもって泊めてくれる。とくに貧者たちはそうである。というのは、彼らはわれわれに対する愛の為に、より大きな危険を冒すが、富者たちは、自分たちの家や財産を失わない為に身をひそめ、そして福音の聖職者たちをそれほどかくまわない
(p.370)

聖書には、金持ちが神の国に入ることは「らくだが針の穴を通るよりも難しい」といいますが、貧者に慈悲があり、富者にない、というのが興味深いですね。そのような所まで、世界的な普遍性があるのでしょうか。

さて、この本の最後の方は、筆者の星野さんのスペイン旅行記になっています。訪ねた教会で、このようなことを言われます。

「十三世紀に建てられた教会なので、それほど古くありませんが」
(p.450)

聖ベドゥロ教会のルーベン神父の談。13世紀だから古くないというのが、ヨーロッパの歴史って感じですね。神父さんによれば、最近は信者が急激に離脱しているそうですが、

急速に熱が冷めたのは、そうですね……二〇年前くらいからです。九〇年代だと思います
(p.451)

バスク地方は元はカトリックの地域でしたが、90年代というとインターネットの影響でもあるのでしょうか。何となく気になります。

次は、聖バルトロメ教会のレオン・コンデ神父の言葉。

何事も、誤解を解くことが大切です。誤解が解ければ、向き合える。対話はそこから始まります。
(p.485)

ラ・ハナという土地は、長崎で殉教したハシント・オルファネールの故郷です。はるばる日本まで布教にきた人達の故郷を訪ねているわけです。そこで、こんなことも言われます。

イエズス会にとって、日本は稀有な成功例ですよ
(p.493)

日本の歴史では、キリシタンは迫害されたことになっており、成功したようには見えないかもしれませんが、世界レベルで考えたとき、日本ほどキリシタンが広まり定着した国は珍しいのだそうです。

最後に、「おわりに」に出てくる、ISによる日本人殺害の話。2015年に二名の日本人がISに斬首され殺害された件です。残虐だというので世界的に批判が高まったのですが、

斬首と火あぶり、これは四世紀前の日本人が神父やキリシタンに対し、各地で行っていたことである。
(p.505)

そのような視点を持てるかどうかが、結局、その人の人格を決めるような気がしました。


みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記
文春文庫
星野 博美 著
ISBN: 978-4167911638