今日は岩波新書、何となく手に取ってしまった「ことば散策」という本。いろんな言葉について由来やら誤用の指摘やらのコラムを集めた感じの内容。
例えば十銭ストアという言葉が出てくる。これは今でいうところの100円ショップみたいなものか、と補足もしながら、十銭文庫も話題に出たところで、
『エロエロ東京娘百景』(壺岐はる子)だとか、『麻雀必/ 勝法』(廣津和郎)、『短歌入門』吉井勇)
(p.46)
エロエロ東京娘って、そんな本があったのかと驚くよ。こういうのはググってみたくなる、ていうかググってみた。2017年に復刻されていた!
この頃、既に「子供の科学」があったという話も出てくる。今は子供の科学は休刊だっけ。大人の科学というムックがあるのは有名な話だが、そのうち老後の科学という本が発刊されるに違いない。
知らない言葉もいろいろ出てくるが、
「そういう軟弱なことばではいけない。そこはフチフシキノカンニといわねばならぬ…」
(p.61)
これは旧制第二高等学校のH先生、ドイツ語の授業の中での言葉らしい。不知不識の間、のこと。なかなかパワーのある言葉のようだ。
誤用の指摘も結構ある。これは痛烈であるが、
身をこなにして、丸丸党の発足にあたりまして、
(p.69)
これは身を粉にして(こにして)のことではないか、という話がこの後ネチネチと続いてオモチロイのだが。丸丸党って実世界では何なんだろ。1994年の秋にできた党らしいのだが、個人的に思い当たらない、ていうか忘却の彼方。
「尤」という字も話題になっている。この字は最近は殆ど見る機会がないのではないだろうか。統計学では「最尤値」という言葉があるが、ここには最も尤も両方出てくる。maximum likelihood ということで、意味としての違いは明確だが、
尤 は 最 とは別だ、此字は比較せず単独にスグレタのだ、
(p.89)
スッキリ説明している。漢字は単独で意味を持っているのだから正しく使い分けろ、そうしないと意味が通じないという当然の話ではあるが、実際は相手が知らないのならどうあれ通じないものは通じないのである。
培う、という表現について。「文化をつちかう」という表現はおかしい、「文化につちかう」であるべきだという話が出てくる。もともと「培う」は土を与えるというような意味だから「に」だという主張のようだ。これは成城学園校歌に、
内なるものを培わん
(p.161)
という一節があって、それにクレームを付けたという話なのだが、これを教授に問うたところ
お前さんのいうところは尤もだが、まあいいじゃないか
(p.161)
と言われたというのが面白い。「尤」であることは認めるが、堅いこというなと。世の中そんなものだ。